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東求堂 とうぐどう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

東求堂
とうぐどう

京都府京都市左京区の慈照寺にある持仏堂足利義政が文明14(1482)年に造営を始めた東山山荘内の建物。銀閣とともに室町時代の貴重な遺構である。方 3.5間,一重入母屋造り,柿ぶきの小書院建築。西芳寺西来堂を模し,蓮池を前にして建ち,阿弥陀三尊が安置され,仏間の障子に十僧図が狩野正信によって描かれた。仏間の東北に同仁斎と呼ぶ 4畳半の書院があり,のちに茶室濫觴(らんしょう)と称される。また隣の御床の間には,義政が深く崇拝した夢窓国師(→夢窓疎石)の墨跡 2幅が掛けられていた。

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大辞林 第三版の解説

とうぐどう【東求堂】

京都市の銀閣寺にある足利義政の持仏堂。1486年に完成。

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家とインテリアの用語がわかる辞典の解説

とうぐどう【東求堂】

慈照寺(銀閣)の一角にある持仏堂(仏像を安置する堂)。将軍足利義政(あしかがよしまさ)の山荘として1486(文明18)年には完成していたといわれる。国宝。仏間を含む4室からなり、うち同仁斎(どうじんさい)と呼ばれる部屋は、書院造りの初期の代表的な例とされる。

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世界大百科事典内の東求堂の言及

【慈照寺】より

…翌83年,まず常御所(つねのごしよ)が完成し,義政はこの山荘に移った。造営は義政の趣向をいれて続けられ,西指庵(せいしあん),超然亭(ちようねんてい),持仏堂(東求堂(とうぐどう)),会所,庭園,船舎,竜背橋(りゆうはいきよう)などが完成し,最後に銀閣(観音殿)が89年に上棟されたが,その翌年義政は病没した。義政の遺言で,祖父義満の鹿苑寺(旧北山山荘)にならい山荘を禅寺に改めて,義政の院号にちなんで慈照寺と称した。…

【書院造】より

…足利義政が応仁の乱後に経営した東山殿の常御殿や会所の屋内諸座敷の構成は,これらの一連の住宅形式の新傾向を採用したものであった。慈照寺(銀閣寺)の東求堂は東山殿の遺構の一つであり,その屋内北東隅にある書院の同仁斎は四畳半の畳を敷きつめた小室で,北面に一間の付書院と間半の違棚をつくりつけていて,室内外の形式と意匠に書院造の諸特徴をそなえ,書院造最古の遺構とされる。 近世初頭の慶長・元和年間(1596‐1624)には武家大名の邸宅が各地で造立された。…

【違棚】より

…足利義政が経営した小川殿や東山殿の諸殿舎で,主座敷に押板,付書院と組み合わせた違棚の用例が《御飾書》に見える。また東山殿の遺構の一つである慈照寺(銀閣寺)東求堂の書院,同仁斎の一隅に付書院と組み合わせた違棚がつくりつけられていて,違棚の最古の遺構として著名である。近世に入ると書院造形式の定型が完成し,違棚も発達して変化に富んだ諸種の型を生んでいる。…

【室町時代美術】より

…だが,北山殿の主屋であった寝殿がもはや建てられなかったことは,建築の様式が寝殿造から書院造へと移行する過程を示すものとされる。義政の起居する常御所(つねごしよ)や東求堂(とうぐどう)(持仏堂)の襖絵には,馬遠,牧谿,玉澗,李竜眠(李公麟)ら宋・元の名家の〈筆様〉による唐絵が描かれ,一方,対面や会合の場である会所の諸室の襖には,納戸の漢画を除いて,やまと絵の名所絵,草花絵が描かれていた。漢画は小栗宗湛につづいて幕府の御用絵師となった狩野正信が描いたことが知られ,やまと絵は宮廷の絵所預(えどころあずかり)土佐光信が描いたと推測される。…

※「東求堂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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