銅屋町
どうやまち
[現在地名]弘前市銅屋町
城の南東に位置し、桶屋町から富田村に至る道筋の町並。東は南川端町、西は大円寺門前(現桶屋町)に接する。
慶安二年(一六四九)の弘前古御絵図(市立弘前図書館蔵)には、現町域は田地であるが、現本町の東側部分が銅屋町と記され、一六軒の銅屋がある。寛文一三年(一六七三)の弘前中惣屋敷絵図(同館蔵)には、町内は新銅屋町と記され、不完全ではあるが屋敷割がされ、銅屋藤兵衛ほか一七軒の屋敷があり、うち空家二軒。
銅屋町
どうやまち
[現在地名]米沢市中央五丁目・同七丁目・春日二丁目
粡町と直角に北に延びる米沢街道両側に沿う町人町。直江兼続時代、下野国佐野(現栃木県佐野市)の鋳物師太田半七を二五石で召抱えたのに始まるという鋳物師の町(鈴木文書)。脇町一三町のうち。城下の鋳造物を一手に引受けており、慶安二年(一六四九)当町中からの願いにより禁じられていた米沢諸口からの鉄の入手が、板谷・中山(現西置賜郡白鷹町)、綱木・小国(現同郡小国町)、新宿(現東置賜郡高畠町)口については解禁となった(上杉家年譜)。寛文一二年(一六七二)の惣町軒数目録によれば軒数三二、うち町役免除屋五(検断長谷川屋敷二・組頭屋敷二・小走屋敷一)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 