銭相場(読み)ゼニソウバ

デジタル大辞泉 「銭相場」の意味・読み・例文・類語

ぜに‐そうば〔‐サウば〕【銭相場】

江戸時代銭貨と金・銀貨との交換比価

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精選版 日本国語大辞典 「銭相場」の意味・読み・例文・類語

ぜに‐そうば ‥サウば【銭相場】

〘名〙 江戸時代、銭貨と金・銀貨との交換割合。幕府は慶長一四年(一六〇九)金・銭の比価を一両=四貫文と公定したが、その後貨幣の改鋳や経済事情の変動によって高低を重ね、幕末期の銭相場は一両=七貫文前後まで低落した。
御触書寛保集成‐三二・元祿一四年(1701)一二月「覚 銀子并銭相場之儀、去年相触候通、向後彌金壱両に銀は五拾八匁替、銭は三貫九百文替之積より高値に仕間敷候」
歌舞伎阿国御前化粧鏡(1809)大詰「下がれの上がれのと、銭相場(ゼニサウバ)ぢゃアあるまいし、口やかましいおさぶだア」

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改訂新版 世界大百科事典 「銭相場」の意味・わかりやすい解説

銭相場 (ぜにそうば)

と金銀貨との比価。日本において銭貨の交換割合がはじめて定められたのは721年(養老5)1月で,銀貨の和同開珎1枚をもって銅貨の和同開珎25枚(文)に相当することとした。ついで760年(天平宝字4)発行の金貨開基勝宝は1枚をもって同年発行の大平元宝(銀貨)10枚,また大平元宝1枚は同年発行の万年通宝(銅貨)10枚に相当するという交換割合が規定された。江戸時代に入って,幕府は1608年(慶長13)12月,永楽銭1貫文=鐚銭(びたせん)4貫文=金1両とし,翌年には金銀銭貨の比価を金1両=銀50匁=永楽銭1貫文=京銭(鐚銭と同義語)4貫文とした。1700年(元禄13)11月には金1両=銀60匁=銭4貫文と改定され,これが幕府の法定相場として幕末まで維持された。このように幕府はたてまえとして法定相場によったが,実際には変動相場制となっており,大坂高麗橋や北浜金相場会所が設けられ,金銀銭の売買のための取引所となった。金銀相場は大名町人の生活に深い影響をもっていたが,銭相場の変動は庶民の生活に強い影響を与えた。
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