鍵富 三作(2代目)
カギトミ サンサク
明治〜昭和期の実業家 日本硫黄社長。
- 生年
- 明治20(1887)年11月6日
- 没年
- 昭和10(1935)年8月22日
- 出身地
- 新潟県
- 学歴〔年〕
- 新潟中卒
- 経歴
- 初代鍵富三作の養子となり、養父を補佐して実業界に入り、のち2代目を継ぐ。大正2年日本硫黄を設立して社長に就任。新潟鉄工所取締役、東京動産火災保険取締役、第四銀行監査役、越後鉄道監査役を務めた。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
鍵富三作
没年:明治41.3(1908)
生年:天保4.7.15(1833.8.29)
明治時代の新潟県の実業家。新潟県の大地主の家に生まれる。19歳のときに父の死去に伴い米の投機商となる。明治1(1868)年の米価暴騰の際に投獄されたのを機に投機から手を引き,以後,漸次資産を蓄積。海運業にも進出するなどして北越屈指の富豪となり,新潟県内外の大企業に投資した。明治9年新潟銀行に入り取締役となり,次いで新潟電灯株式会社の監査役になる。29年北越鉄道会社の創立に関与。新潟港築港,新潟持寄米売買所・新潟商業会議所設立などにも尽力した。<参考文献>『新潟県史』通史編6~8巻,牧田利平編『越佐人物誌』
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
鍵富三作(初代) かぎとみ-さんさく
1833-1908 明治時代の実業家。
天保(てんぽう)4年7月15日生まれ。嘉永(かえい)4年家業をつぎ,米穀取引をおこなう。明治7年本間新作らと持寄米売買所を設立,さらに米の輸出を手がけた。13年益田孝らと東京風帆船(のちの共同運輸)を組織。また新潟市会・県会議員をつとめ,新潟中学の設置や北越鉄道の開設にも参画。明治41年3月30日死去。76歳。越後(えちご)(新潟県)出身。
鍵富三作(2代) かぎとみ-さんさく
1887-1935 明治-昭和時代前期の実業家。
明治20年11月6日生まれ。初代鍵富三作の養子。養父を補佐して実業界にはいり,大正2年日本硫黄を設立して社長に就任。新潟鉄工所,東京動産火災保険の取締役,第四銀行,越後鉄道などの監査役をつとめた。昭和10年8月22日死去。49歳。新潟県出身。新潟中学卒。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例