毌丘倹(読み)かんきゅうけん(英語表記)Guan-qiu Jian; Kuan-ch`iu Chien

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「毌丘倹」の意味・わかりやすい解説

毌丘倹
かんきゅうけん
Guan-qiu Jian; Kuan-ch`iu Chien

[生]?
[没]正元2 (255)
中国,三国時代のの官人出身の武将。毌は「ぶ」とも読まれる。明帝に仕え,信頼を得て幽州刺史となり,遼東の公孫氏平定を命じられ,景初2(238)年司馬懿とともに再征して公孫淵を滅ぼした。正始5(244)年,高句麗征伐の命を受けて高句麗の軍を破り,国都丸都城を陥れた。翌年再征して玄菟太守王頎(おうき)に命じて再び高句麗を攻めさせ,王頎の軍は今日の咸興平野を越えて間島にいたった。毌丘倹は帰途その紀功碑を丸都の地に建てたが,20世紀初めその断片が輯安県の板石嶺で発見されたのは有名である。明帝の死後,その後継をめぐって権力者司馬氏と対立して敗れ,暗殺された。

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世界大百科事典(旧版)内の毌丘倹の言及

【毌丘倹】より

…中国,三国魏の将軍。字は仲恭,河東聞喜(山西省)の人。〈ぶきゅうけん〉とも読まれる。幽州(北京方面)長官として237年(景初1),遼東に進出。烏丸(うがん)を下したが,独立勢力の公孫淵に敗退し,翌年,司馬懿(しばい)とともにこれを滅ぼして朝鮮北西部まで併合した。246年(正始7)には高句麗を討って,首都の丸都を陥れ,紀功碑を立てて凱旋。その後は南方に転じて呉と対峙していたが,255年(正元2),魏の帝位を奪おうとする司馬氏に対して兵を挙げ,その討伐軍に敗れて殺された。…

※「毌丘倹」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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