中国,三国魏の政治家,書家。潁川(えいせん)長社(河南省)の名族で,字は元常。後漢のとき侍中,司隷校尉を経て尚書僕射(しようしよぼくや)となり,東武亭侯に封ぜられた。のち魏の曹操に仕えて功をたて,魏が建国すると大理,相国(しようこく)となり,文帝のとき廷尉,太尉,太傅(たいふ)を歴任した。80歳で没したときは,明帝が喪服をつけて葬儀に臨んだという。鍾太傅と呼ばれ,魏の元勲的な存在であった。曾祖父の鍾皓(しようこう)は学者で法律に明るかったが,鍾繇も有名な肉刑復活論者である。書は胡昭とともに後漢末の劉徳昇に学び,〈雲鵠が天に遊び,群鴻が海に戯れるが如し〉と評され,正書(楷書),八分(はつぷん),行書にすぐれて三絶と称された。後漢の張芝と並称され,東晋の王羲之以前では〈張鍾〉を最高位におくことに異論はない。書跡として《宣示表》《受禅表》《薦季直(せんきちよく)表》などが伝えられるが,真偽のほどは疑問とされる。
執筆者:日原 利国
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中国、三国魏(ぎ)の書家、政治家。字(あざな)は元常。潁川(えいせん)長社(河南省許昌県)の人。後漢(ごかん)の末に孝廉(こうれん)として登用されて黄門侍郎となったが、魏に入ってのちは建国の功臣として重用され相国(しょうこく)の官位を得、定陵侯に封ぜられて大傅(たいふ)の官に至ったので、鍾大傅とよばれる。書は劉徳昇(りゅうとくしょう)に学び、隷書(れいしょ)・楷書(かいしょ)・行書の三体をよくしたと伝えられ、後漢の張芝(ちょうし)とともに並び称せられる。真跡は伝わらず、隷書は『公卿上尊号奏(こうけいじょうそんごうのそう)』『受禅碑』がその書とされる。後世もっとも高く評価された楷書では『宣示表(せんじひょう)』『薦季直表(せんきちょくひょう)』『賀捷表(がしょうひょう)』『墓田丙舎帖(ぼでんへいしゃじょう)』などが法帖(ほうじょう)に収められて伝わるが、いずれも臨摹(りんも)(臨写・模写)を重ねたものを底本としており、また偽託もあると考えられ、そのままには信じられない。
[筒井茂徳]
『『書跡名品叢刊96 魏晉小楷集』(1962・二玄社)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…南朝から唐代前半期までは,個々の書家を〈天然〉と〈工夫〉という二つの規準に照らして,あるいは書体別にその巧拙を比較して格づけする品第法と,個々の書風の特性を自然や人物にたとえて論評する比況法が盛んに行われた。多くの書家の中から,後漢の張芝,魏の鍾繇(しようよう),東晋の王羲之,さらにその子王献之が古今の四傑として最も高い評価を得,こうして伝統派の書論の基礎が築かれた。 唐代には孫過庭の《書譜》や張懐瓘の《書断》など,伝統派の書論を集大成した力作も現れたが,反面,書法を秘訣として子孫に伝える傾向が生じ,そのための通俗な伝授書も多く作られた。…
※「鍾繇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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