長倉郷(読み)ながくらごう

日本歴史地名大系 「長倉郷」の解説

長倉郷
ながくらごう

応永一七年(一四一〇)「紙本墨書大般若経」(追分諏訪神社旧蔵)に「信州佐久郡大井庄長倉郷内追分大明神之御宝」とあるのが初見。長倉郷の境域に追分おいわけ前沢まえざわ沓懸くつかけ(掛)発地ほつち等現軽井沢町が含まれていることは、追分の諏訪神社所蔵の紙本墨書大般若経などによっても明らかである。

長倉郷がいつから大井おおい庄に属したかは不明だが、長倉牧長倉駅のあったこの辺りに一郷の存在したことはうなずける。しかし長倉郷の場合、境域内に追分・沓懸・前沢・発地等があることや、後、天正二年(一五七四)三月の大井文書にみえる「大井之十二郷」のなかに長倉郷の名がなく、本郷または脇郷として沓掛・追分・茂沢もざわが出ていることから、他の郷とは性格の違った広範囲で過渡的な呼称であったとも考えられる。


長倉郷
ながくらごう

和名抄所載の郷。同書高山寺本など諸本とも訓を欠くが、ナカクラであろう。正倉院調庸関係布衣服残闕銘文(正倉院宝物銘文集成)に長倉郷とみえ、桜井舎人部豊前某がこれを貢進している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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