長和庄(読み)ながわのしよう

日本歴史地名大系 「長和庄」の解説

長和庄
ながわのしよう

古代から中世にかけて沼隈郡の東南部に存在した荘園。「和名抄」にはみえないが、「尊卑分脈」に長和郷がみえている。荘域については定かではないが、領家安居院悲田あぐいひでん(跡地は現京都市上京区)地頭との間で下地中分された建治元年(一二七五)前後の所務和与状(田総文書)にみえる「山河海辺」の語句、さらには長和の福井ふくい八幡が長和・地頭分じとうぶ山北さぼく神島かしま草戸くさど水呑みのみ田尻たじり各村の総氏神であったということから推察し、その一帯に比定される。

立荘経緯も不明な点が多いが、鳥羽院政期までに院領荘園として成立していたことは確実である。すなわち嘉元四年(一三〇六)の昭慶門院御領目録(竹内文平氏旧蔵文書)によれば領主であった藤原惟方が、永治元年(一一四一)に美福門院の建立した歓喜光かんきこう(跡地は現京都市左京区)に寄進し、その所領となっていたことが知られ、永暦元年(一一六〇)に美福門院が亡くなった後は八条院に(安元二年二月日付「八条院所領目録」内閣文庫蔵山科家古文書)、この後も皇室に伝領されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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