長安村
ながやすむら
[現在地名]上那賀町長安
小浜村の西、那賀川北岸の山間にあり、支流菖蒲谷川が本流に合流する地点に位置する。寛永(一六二四―四四)前期のものと推定される国絵図に村名がみえ、那西郡に属した。正保国絵図では高一九三石余、枝村に沢谷・岩倉・懸盤・坂志宇(坂州)・木頭名五ヵ村(現木沢村)を記す。寛文四年(一六六四)の郷村高辻帳では田方五八石余・畑方一三五石余、枝村五が記される。文化一〇年(一八一三)の高都帳では高一三石余、枝村はそれぞれ高付されている。
長安村
ながやすむら
[現在地名]弥栄村長安本郷など
現弥栄村の東半分にあたり、中世は一帯に永安別符が成立していた。北は栃木村・小坂村、西は木束村、南は田野原村、美濃郡道川村(現匹見町)、東は波佐村(現金城町)。北部は周布川の峡谷で、中央部を周囲の標高五〇〇メートルから九〇〇メートルの山々から流れ出す小流を集めた長安川が南流し、長安本郷を中心とする高原状平坦地となる。さらに長安川は小角川・程原川を合せ、木束村へ流れ込む。郷帳類には長安村一村しかみえないが、実際には稲代村・大坪村・程原村・小角村・横谷村・笹目原村・門田村・日高村・西河内村の九村が分立していたと考えられ、中心部は長安本郷あるいは単に本郷・元郷と称した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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