日本歴史地名大系 「長崎奉行所立山役所跡」の解説
長崎奉行所立山役所跡
ながさきぶぎようしよたてやまやくしよあと
江戸時代、幕府が直轄領の長崎に置いた地方長官である長崎奉行の役所跡。史料上は「立山御役所」(菱屋平七「筑紫紀行」所載絵図)のほか、「立山御屋敷」や、たんに「立山」とも記され、西役所とともに「御両所」と併称される(「唐通事会所日録」元禄元年六月条・同六年五月条など)。文禄元年(一五九二)
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報