長氏(読み)ちょううじ

改訂新版 世界大百科事典 「長氏」の意味・わかりやすい解説

長氏 (ちょううじ)

能登の中・近世武家。始祖長谷部信連(はせべのぶつら)。長の姓は信連の出生地遠江国長邑にちなむといい,また一説には長谷部の略称ともいう。信連ははじめ以仁(もちひと)王に仕えたが,後に源頼朝の御家人となり,能登国大屋荘(現,石川県輪島市)地頭となった。その没後,一族は同荘を中心に能登の各地に発展した。南北朝・室町期には守護の吉見氏,畠山氏の支配からは独立した立場を保持し,足利将軍家の奉公衆であった。能登畠山氏の戦国大名化につれて麾下に属し,続連・綱連らは重臣となり,穴水(あなみず)(現,石川県鳳珠(ほうす)郡穴水町)を本拠とした。その後,家臣団内部における領国の覇権争奪では遊佐(ゆさ)氏,温井(ぬくい)氏らと競合した。1577年(天正5)9月上杉謙信の能登進攻で畠山氏は滅亡,長氏一族も壊滅したが,連竜は織田信長の救援のもとに能登復帰して長家再興に活動し,80年信長から鹿島(かしま)半郡を与えられた。翌年信長は能登一国を前田利家に与え,連竜はその与力(よりき)とされたが,鹿島半郡の国支配権は保持された。しかし1668年(寛文8)鹿島半郡は接収されて所領加賀越中に移され,加賀藩家臣団の重臣八家の一に格付けされ,禄高3万3000石を有して幕末に至った。明治維新後男爵。
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