長畑村(読み)ながはたむら

日本歴史地名大系 「長畑村」の解説

長畑村
ながはたむら

[現在地名]今市市長畑

深い山地が迫る山間村で、西の鶏鳴けいめい(九六一・四メートル)の渓間から発する西沢川が長畑中井ながはたなかいみやしたなどの集落に沿って東流、東沢川が遠入・大畑・高地谷などの集落に沿って南流、田尻付近で両川が合流し長畑川となる。都賀つが郡に属し、東は明神みようじん村、南は板荷いたが(現鹿沼市)日光山往古社領六十六郷のうちに「長畠郷」とみえる(日光山常行三昧堂新造大過去帳)。元和六年(一六二〇)将軍徳川秀忠から東照大権現社領として「長畠村」六九四石余が寄進された(「東照宮領目録」日光山御宮方書物之写)。慶安郷帳では田一三四石余・畑五四五石余。壬生みぶ文挟ふばさみ板橋いたばし両宿の定助郷村で、勤高一千四〇石(享保九年「板橋・文挟宿助郷帳」小堀三郎文書)


長畑村
ながばたけむら

[現在地名]新発田市中田なかた町二丁目・小舟こふね町二丁目・長畑

中谷内なかやぢ村の東北に位置し、村の東を加治かじ川が北西流し、川を挟んで押廻おしまわし(現北蒲原郡加治川村)に対する。村名は「長畠」とも記される。新発田藩領で、慶長三年(一五九八)頃の御領内高付帳(新発田市史資料)に高一三二石三升とある。同一七年の御蔵納同払方帳(同資料)に新発田組としてみえ、一一六石七斗余、ほど役二石二斗余。正保国絵図では一七〇石余、天保郷帳では二三七石四斗余。


長畑村
ながばたむら

[現在地名]日高村長畑

みやたに村の西北仁淀によど川右岸に沿った能津のうづ村の枝郷で、「永畠」とも書く(元禄地払帳)。天正一八年(一五九〇)の能津村地検帳に小村として永畠ながばた村がみえ、地積二町七反余、切畑三町九反余で、村内に毎日寺があった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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