長谷庄(読み)ながたにのしよう

日本歴史地名大系 「長谷庄」の解説

長谷庄
ながたにのしよう

能勢郡の採銅所に属した庄園で、現長谷付近に位置した。採銅所は、とう郷・西さい郷にわたっていたが、当庄は西郷に含まれ、室町末・戦国期の史料にあらわれる。採銅所の支配経営には官務家とよばれた小槻家(のち壬生・大宮両家に分れる)が当たり、官務家のもとには預所以下の所司がいて、付近の農民を監督・指揮して採銅の業務を行ったが、その農民たちは寄人・徭人として採銅の仕事に当たる代りに免田をもち国衙の雑役を免除されていた(→能勢郡採銅所。したがって採銅所は鉱山だけでなく、その周辺に田畑が開発されていき、やがてその土地を対象として年貢が徴収されるようになった。南北朝初期、足利尊氏が篠村しのむら八幡宮(現京都府亀岡市)に陣取ったとき馳せ参じた能勢郡西郷の郷士の名前を書上げたという能勢郡西郷郷士覚書写(東家文書)の長谷村の項には長谷氏以下一一氏の名が記されており、この地の田畑の開発が進み、多くの地侍が輩出して活発な動きを示したことを伝えている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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