プロ野球選手(外野手:左投左打)。2月26日、奈良県生まれ。天理高からクラレ岡山を経て、ドラフト2位で1970年(昭和45)に南海ホークス(現、福岡ソフトバンクホークス)に入団した。1971年、レギュラーに抜擢(ばってき)されると120打点で打点王に輝いたが、その後はホームランを意識しすぎたため、シーズンによって好不調の波が大きかった。1979年には春のキャンプでアキレス腱(けん)を断裂、そのシーズンのほとんどを棒に振ってリハビリに励み、これを境に指名打者(DH)として復活、リーグ屈指の強打者へと生まれ変わった。翌1980年に41本塁打を放つと、1981年は44本で本塁打王を獲得、1983年も40本で2回目の本塁打王となった。1988年には44本塁打、125打点で二冠王に輝き、最優秀選手(MVP)に選ばれた。当時すでに40歳となっており、翌1989年(平成1)から福岡ダイエーホークスとなることが決まっていた南海最後の年に花を添えると同時に、中高年に希望を与える存在として脚光を浴びた。1989年からオリックス・ブレーブス(現、オリックス・バファローズ)、福岡ダイエーホークス(現、福岡ソフトバンクホークス)と移って44歳の1992年までプレーし、最後までフルスイングの打撃を貫いた。
[出村義和 2016年9月16日]
23年間の通算成績は、出場試合2571、安打2566、打率2割8分9厘、本塁打567、打点1678。獲得したおもなタイトルは、本塁打王3回、打点王2回、最優秀選手(MVP)1回、ベストナイン7回。2006年(平成18)に野球殿堂(野球殿堂博物館)入り。
[編集部 2016年9月16日]
『門田博光著『不惑の挑戦』(1988・海越出版社)』
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新