閏田村(読み)うるだむら

日本歴史地名大系 「閏田村」の解説

閏田村
うるだむら

[現在地名]菰野町潤田うるだ

音羽おとわ村の東、三滝みたき川の北にあり、村内を巡見街道が走る。中世伊勢神宮の御厨があった。「神鳳鈔」に「二宮潤田御厨二十六丁、上分六丁、各三石、六九十二月」と出る。神宮領としては比較的後まで残り、天正一一年(一五八三)の内宮神領本水帳写にも「四石五斗 長清 うるた」とみえる。

江戸時代を通じ菰野藩領。弘化三年(一八四六)の人口は、男三二六・女三一九の計六四五。戸数は嘉永元年(一八四八)で一三六(「菰野雑記」野呂家蔵)。慶応二年(一八六六)の閏田村免状控(菰野財産区区有文書)によれば、当村の年貢は五三六・六五七石である。


閏田村
うるうだむら

[現在地名]大町市大字やしろ 閏田

現大町市の南部で、東の中山なかやま山地を背に西の高瀬たかせ川に面し、南の現曾根原そねばら宮本みやもとの両集落とともに高瀬川河岸段丘上に位置する。

閏田の名は、文禄年間(一五九二―九六)に成立したとみられる筑摩安曇両郡郷村御朱印御高附に「百九石五斗六升弐合 (閏)田村」とあるのを文献上の初見とする。閏田とは神田の意味といわれ、平安時代中期に仁科にしな御厨が成立した当時は、北限がこの閏田村の地までであると推定されるので、閏田は、仁科神明宮の領田のあった所の意とも考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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