間方村(読み)まがたむら

日本歴史地名大系 「間方村」の解説

間方村
まがたむら

[現在地名]三島町間方

浅岐あさまた村の南西一里二町、志津倉しづくら(一二〇三メートル)北麓に位置し、銀山ぎんざん街道の駅所。美女びじよ峠を越えて野尻のじり(現昭和村)に通じたほか、赤松あかまつ沢を下って玉梨たまなし(現金山町)にも通じ、端村入間方いりまがたからは標高一〇〇〇メートルの大辺おおべ峠を越えて下中津川しもなかつかわ(現昭和村)に通じた。文禄三年(一五九四)の蒲生領高目録に「満方 八十八石七斗五升 大塚三郎右衛門尉」とある。古くから高野こうや寺伝説があり、美女峠の伝説を生んでいる。「異本塔寺長帳」仁平元年(一一五一)条に「会津間方村高野寺三十六坊其外堂塔不残平忠盛下知焼亡」とあり、「会津鑑」には「高野寺真言宗、今廃ス、大同二丁亥年徳一建ツ」とある。


間方村
まがたむら

[現在地名]加古川市加古川町美乃利かこがわちようみのり

大野新おおのしん村の南に位置する。間形村とも記す。元禄郷帳に「古ハ溝口村」と肩書された間方村がみえ、高三五〇石。天保郷帳では高三九〇石余。天保七年(一八三六)村津若左衛門は長束木綿問屋として姫路藩より鑑札を交付された(「長束仕法木綿鑑札渡控帳」穂積家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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