関口大洗堰跡(読み)せきぐちおおあらいぜきあと

日本歴史地名大系 「関口大洗堰跡」の解説

関口大洗堰跡
せきぐちおおあらいぜきあと

[現在地名]文京区関口一丁目

神田上水を塞いで水位を上げ、同上水とその余水を流した江戸川(神田川)に分水させるため、江戸時代前期に目白台下の関口村に設けられた堰。目白下関口めじろしたせきぐち大洗堰ともいう(江戸名所図会)。堰の建設年代は不詳だが、万治三年(一六六〇)幕府普請奉行指揮のもと陸奥仙台藩の手伝普請で外堀の大開削工事(江戸川を神田堀に合せた)が行われた頃には完成していたと推定される。寛文一二年(一六七二)閏六月には「神田上水道水上関口村大洗堰小洗関新洗関」そのほかの普請費用が町年寄を通じて各町に割付けられている(「町触」東京市史稿)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ユーラシア大陸、北アメリカ大陸北部に広く分布し、日本では北海道にエゾヒグマが生息する。成獣は体長2メートル以上、体重300キロにもなり、日本最大の陸生動物として知られる。雑食性で草や木の実、サケ、シ...

ヒグマの用語解説を読む