20世紀日本人名事典 「関口隆正」の解説 関口 隆正セキグチ タカマサ 明治・大正期の漢学者 生年安政3年5月(1856年) 没年大正15(1926)年4月26日 経歴儒者・清水礫洲の末子に生まれ、のち元老院議官・関口隆吉の養子となる。安井息軒・大橋陶庵に経学を学び、更に儒者・岡松甕谷の門下となり岡松塾・紹成書院の幹事となる。漢学者となり、耕堂と号した。明治12年司法省法学生の試験に合格したが、17年清(中国)に留学、上海で勉学、また杭州の兪曲園などにも学んだ。日清戦争・日露戦争では陸軍通訳として従軍。のち旅順高等学堂の教授を務め、中国学生の養育に従事した。著書に「和漢両文満洲鉄道唱歌、附台湾歴史歌、朝鮮歴史歌」「満洲産物字彙」がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「関口隆正」の解説 関口隆正 せきぐち-たかまさ 1856-1926 明治-大正時代の漢学者。安政3年5月生まれ。清水礫洲(れきしゅう)の子。関口隆吉(たかよし)の養子。安井息軒,大橋陶庵にまなび,岡松甕谷(おうこく)の紹成書院の幹事となった。明治17年清(しん)(中国)に留学。日清・日露戦争では陸軍通訳として従軍。のち旅順高等学堂の教授をつとめる。大正15年4月26日死去。71歳。号は耕堂。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by