関口隆吉(読み)セキグチタカヨシ

デジタル大辞泉 「関口隆吉」の意味・読み・例文・類語

せきぐち‐たかよし【関口隆吉】

[1836~1889]政治家江戸の人。あざな良輔通称権助。号、黙斎。関口鯉吉新村出の父。旧幕臣で、元老院議官・静岡県知事などを歴任した。

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精選版 日本国語大辞典 「関口隆吉」の意味・読み・例文・類語

せきぐち‐たかよし【関口隆吉】

  1. 幕臣、政治家。字(あざな)は良輔。通称権助。号は黙斎。江戸開城の際、暴徒鎮圧にあたり、維新後、山口県令、元老院議官、静岡県知事を歴任。新村出、関口鯉吉の実父天保七~明治二二年(一八三六‐八九

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「関口隆吉」の解説

関口 隆吉
セキグチ タカヨシ


肩書
静岡県知事,元老院議官

別名
号=黙斎

生年月日
天保7年9月17日(1836年)

出生地
江戸

経歴
幕臣で嘉永5年父の職である御弓持与力を継ぐ。米鑑が浦賀に来航するや攘夷論を唱え、反対派の勝海舟を九段坂に襲って失敗した。明治元年江戸開城の際、精鋭隊頭取と町奉行支配組頭を兼帯し、のち市中取締役頭となる。5年三瀦県権参事、8年山口県令に就任し、9年前原一誠の乱が起ると、直ちにこれを平定し、10年西南戦争時には前原の残党の動きを制した。のち高等法院陪席判事、元老院議官、17年静岡県令、19年同県知事を歴任した。

没年月日
明治22年5月17日

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「関口隆吉」の解説

関口隆吉 せきぐち-たかよし

1836-1889 幕末-明治時代武士,官僚
天保(てんぽう)7年9月17日生まれ。新村出(しんむら-いずる),関口鯉吉の父。幕臣。江戸開城のときは精鋭隊頭取兼町奉行調役として治安の維持につとめる。明治8年山口県令となり,萩(はぎ)の乱を鎮圧。19年初代静岡県知事となる。明治22年5月17日死去。54歳。江戸出身。字(あざな)は艮輔(ごんすけ)。号は黙斎。

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367日誕生日大事典 「関口隆吉」の解説

関口 隆吉 (せきぐち たかよし)

生年月日:1836年9月17日
江戸時代;明治時代の官吏。静岡県知事
1889年没

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世界大百科事典(旧版)内の関口隆吉の言及

【萩の乱】より

…萩と徳山から山口を挟撃しようとしたのである。10月31日には山口県令関口隆吉の率いる政府軍との間に火ぶたが切られた。陸軍卿山県有朋は,木戸孝允,伊藤博文と相談のうえ,広島鎮台司令長官三浦梧楼陸軍少将を鎮圧に向かわせた。…

※「関口隆吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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