関戸貝塚
せきどかいづか
[現在地名]岡山市大内田
足守川下流の平野の南にある早島の山塊は、縄文海進期の初期には南方の児島との間に浮ぶ島であったと考えられている。この山塊の北東に延びた岬の突端にある弥生時代の貝塚である。岬の東側は近世の干拓地が広がる地域であるため、一般に海岸に残された貝塚であると考えられているが、貝塚を構成する貝層は主として汽水性のヤマトシジミからなっており、ハイガイ、カキなど海産の貝類を交えているが貝塚前面の水域は汽水性のラグーンとなっていたものと推定される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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