関氏(読み)せきうじ

改訂新版 世界大百科事典 「関氏」の意味・わかりやすい解説

関氏 (せきうじ)

中世武家。(1)常陸国関郡を本拠とした大方氏の一族。下野国を中心に展開した藤原秀郷流の諸家のうち,小山・長沼氏に近い一族大方五郎政家が関を領して関氏を称した。政家の子政平は1183年(寿永2)志田義広の乱にくみして没落したと思われるが,残った兄弟らが多様な活躍をみせる。日光山別当で鎌倉鶴岡八幡宮供僧を兼ねた真智房隆宣,1213年(建保1)和田合戦で弟子らを率いて奮戦して戦功をあげ後年日光山別当となる弁覚らはみな政平の弟にあたる。しかし政家のあとを継いだ政綱承久の乱で戦死し,さらに1247年(宝治1)宝治合戦で姻戚関係から三浦方にくみした政綱の子政泰が敗死して,一族は衰退の色を濃くした。

(2)鎌倉時代の北条氏嫡流(得宗)の有力被官家。平清盛の孫資盛の家系をひく実忠が,伊勢国鈴鹿郡関を領して関氏を称した。実忠は北条泰時の被官として知られるが,子孫の動向は不明である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「関氏」の意味・わかりやすい解説

関氏
せきうじ

平安末~鎌倉前期の豪族。藤原秀郷(ひでさと)5世の孫大田大夫行尊(だゆうゆきたか)の後裔(こうえい)。下総大方(しもうさおおかた)郷(茨城県下妻(しもつま)市)、常陸(ひたち)関郡(同県筑西(ちくせい)市、下妻市の一部)の領主大方政家(まさいえ)の子俊平(としひら)が初めて関郡に住み、関氏を称したのに始まる。俊平の弟政平(まさひら)は、1183年(寿永2)志田義広(しだよしひろ)に与同して没落、その弟政綱(まさつな)が関氏を継承。政綱は惣領(そうりょう)家の大方政直(まさなお)が1213年(建保1)和田義盛(よしもり)の乱で没落したのち、大方氏を併合し御家人(ごけにん)として幕府に仕えたが、1221年(承久3)承久(じょうきゅう)の乱の宇治橋合戦で戦死した。その子政泰(まさやす)は、1247年(宝治1)宝治(ほうじ)合戦で三浦方にくみして討ち死にし、関氏は滅亡した。

[市村高男]

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世界大百科事典(旧版)内の関氏の言及

【関城[町]】より

…【千葉 立也】
[関城]
 関城町南東部の関館にあった城。平安末期以来この地域は関郡と呼ばれ,秀郷流藤原氏の一流関氏の支配下にあった。関城は関氏一族の本拠地と伝えられる。…

※「関氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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