関泉寺(読み)かんせんじ

日本歴史地名大系 「関泉寺」の解説

関泉寺
かんせんじ

[現在地名]七ヶ宿町 関

せき集落の七ヶ宿町役場東隣、中世山城の八幡はちまん館跡の北麓にある。曹洞宗、阿嘯山と号し、本尊阿弥陀如来。寛永三年(一六二六)開山と伝える。境内観音堂に応永年間(一三九四―一四二八)の作とされる観音像が安置され、高さ二・六四メートルの一木造。また本堂に間引を描いた彩色絵があり、間引の場が生々しく、それを戒めるべく金棒をもった地獄の使者とともに素裸の赤子が迫るという構図である。年不詳の赤子養育条々(安藤昭一家文書)によれば、赤子養育制度は寛政六年(一七九四)より始められ、赤子制導役が置かれ、七ヶ宿では湯原ゆのはらの者が当たった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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