日本歴史地名大系 「阿久和村」の解説
阿久和村
あくわむら
東は
宝徳二年(一四五〇)九月二一日の関東公方足利成氏御教書(県史三)によれば、鶴岡八幡宮御供料所のうちで徳政令によって返付を命じられたもののなかに「阿久和郷内水田」とあって、当時は落合式部入道の買得地であった。小田原衆所領役帳には増田「拾六貫 東郡阿久和」とある。
近世は旗本安藤領。天正一九年(一五九一)五月の安藤正次への知行宛行状(県史八)には「三百八拾一石四斗 安久和之郷」とあり、寛永二年(一六二五)七月の安藤正珍への知行宛行状(同書)には「四百拾九石四斗 東郡阿久和村」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報