秋田県北秋田市阿仁地区に散在した阿仁鉱山の一部。小沢(おざわ)、真木沢(まぎざわ)、三枚(さんまい)、一ノ又(いちのまた)、二ノ又、萱草(かやくさ)ほか11か山の総称。阿仁鉱山は、もともと向山(むかいやま)を中心に、金銀山として開かれていたが、寛文(かんぶん)年間(1661~1673)前後から、次々と11か山の銅山が開発された。荒銅の生産額は1708年(宝永5)の360万斤(2160トン)をピークに減少したが、明治に入って漸増、明治末年には200万斤を超えるに至った。開発当初は、北国屋手代(てだい)高岡八右衛門らの商人請負、1702年(元禄15)からは秋田藩営、1875年(明治8)に官営移行、1885年払下げによって古河(ふるかわ)鉱業会社(現、古河機械金属)の稼行となった。また、この阿仁銅からの絞銀(しぼりぎん)、銅精錬のために、阿仁川の下流、藤琴川との合流点に銀絞所がつくられた。この加護山銀絞所は1774年(安永3)から1895年(明治28)まで営業した。銅山の採掘は1978年(昭和53)には終了した。ドイツ人技師によってつくられた異人館(国指定重要文化財)と、それに隣接する阿仁郷土文化保存伝承館において銅山の歴史が紹介されている。また、2007年(平成19)には阿仁鉱山が経済産業省選定の「近代化産業遺産」に選ばれている。
[佐々木潤之介]
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