日本歴史地名大系 「阿仁鉱山」の解説
阿仁鉱山
あにこうざん
阿仁金・銀・銅山の総称。北流する阿仁川上流の両岸、標高五六二メートルの
〔銀山〕
阿仁川左岸の
板木沢銀山は慶長―元和(一五九六―一六二四)の頃、湯口内より産銀が多かったといわれ、「秋田風土記」にも「木立沢山 イタ木沢と云。此山金銀銅鉱共に出つ。真木山の内なり」とある。慶長一九年から七十枚・
〔金山〕
〔銅山〕
銅山は小沢山の開発に始まり、宝永五年(一七〇八)の小沢銅山古来言伝之事録(東京大学図書館蔵)に、
とみえる。享保一〇年(一七二五)の秋田郡阿仁銀山之次第開書(秋田金山旧記)には、
とあり、小沢銅山は寛文一〇年頃から北国屋の手代八右衛門の経営になった。金掘大工・掘子は紀州熊野銅山から移住して吹立てを開始し、藩は運上銀取立てにより収益をはかった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報