阿仁鉱山(読み)あにこうざん

百科事典マイペディアの解説

阿仁鉱山【あにこうざん】

出羽国秋田郡,現秋田県北秋田郡阿仁町(現・北秋田市)の阿仁川上流部にあった,金山・銀山・銅山の総称。1575年発見と伝える湯口内(ゆくちない)銀山の開鉱が最も早く,次いで1614年山先(やまさき)の五郎左衛門らにより七十枚(しちじゅうまい)金山が見立てられた。湯口内・七十枚・板木沢(いたきざわ)などは慶長期(1596年−1615年)には金山,寛永(1624年−1644年)中頃からは銀山として稼行し,17世紀半ばからは衰退に向かった。これに代わって小沢山(こさわやま)などで銅の鉱脈が発見され,以後は銅山(阿仁銅山・秋田銅山)を中心として稼行された。当初は山師の請負であったが,1670年には大坂の町人北国屋善右衛門の経営となり,1696年には秋田藩の直営となった。だが経営の失敗から翌年には請山に戻り,1702年再度藩営となった。1764年には阿仁銅山周辺1万石の幕府領への上知が命じられたが,藩の反対によって撤回された。18世紀初頭には年間約200万斤以上を産出,小沢山に約2500人の労働者がいたのを頂点に,以後産額は減少し,幕末には約70万斤に落ち込んでいる。この間阿仁川沿いには銀山町が形成され,1774年には籠山(かごやま)(現秋田県能代市)に藩営の銀絞所(ぎんしぼりじょ)が建設されている。明治維新後は秋田県営に移行し,1875年には官営となって採鉱・冶金技術の改善が図られた後,1885年に古河市兵衛(ふるかわいちべえ)に払い下げられた。1931年一時休山となり,1933年金山・銅山として採掘が再開された。第2次世界大戦後も休山と再開が繰り返され,昭和40年代半ばに閉山となった。

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世界大百科事典 第2版の解説

あにこうざん【阿仁鉱山】

秋田県北秋田郡阿仁町にある金・銀・銅鉱山の総称。板木沢,向,七十枚,小沢,萱草,二ノ又,真木沢,三枚,一ノ又,大沢,天狗平その他の鉱山よりなっており,阿仁十一ヵ山とも阿仁六ヵ山とも呼ばれる。鉱床は第三紀中新世の堆積岩火成岩中の数十条の鉱脈からなっている。
[沿革]
 1575年(天正3)湯口内に銀山が発見され,つづいて,1614年(慶長19)山先(やまさき)(惣山中の長)が七十枚山で金鉱を発見して,鉱山として急速に発展した。

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