「梅津政景日記」慶長二〇年(一六一五)八月四日条に「慶長拾九年阿仁金山江御米為登候請取払、野城より小淵・かざはり・水なしまての舟賃供に算用」とあり、江戸初期から杉材・阿仁鉱山の銅などの輸送に利用された。文政四年(一八二一)の「七日市村支郷品類村より先年願之通木宿願之事」にも「両阿仁・比内とも川舟通用之湊に御座候得者、商物等は不申及手元に入用之品も郷用序に相下調」と商業の流通にも大きな影響を与えた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
秋田県北部,北秋田市南部を北流する米代川最大の支流で,もと大阿仁川とよばれた。幹川流路延長70.6km,全流域面積1081.8km2。上流は打当(うつとう)川,比立内(ひたちない)川などを合わせて阿仁川となり,中流で小又(こまた)川を,下流で小阿仁川を合わせ,鷹巣盆地西端で米代川に流入する。流域の表層地質は,上流部は新第三紀層に花コウ岩など火成岩類が入りまじるが,中流部以下は新第三紀層に一部洪積層で,下流谷底に狭長な沖積平野を展開する。流域は秋田杉の美林地帯として有名であったが,生産量は第2次世界大戦後急減した。木材は戦前はいかだや森林軌道,戦後はおもにトラックにより,能代,二ッ井,鷹巣などに送られた。下流東岸の大野台(洪積台地,3000ha)は昭和10年代の開拓であるが,戦後の入植も多く,みごとな畑作地域(一部は水田)となった。小又峡や安の滝は観光地として,根子(ねつこ),打当,比立内はまたぎの居住する集落として有名(阿仁)。流域の中心集落として北秋田市の旧森吉町米内沢(よないざわ)や旧阿仁町の阿仁合(旧阿仁鉱山の町)がある。
執筆者:北条 寿
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…古鷹巣湖盆を中心とした断層盆地で,面積約70km2。盆地北部を米代川が西流し,麻生(あそう)付近で盆地西部を北西流する阿仁川を合流,両川ともそれぞれやや広い沖積平野を形成する。盆地中央部は阿仁川の河岸段丘大野台で,標高30~100mの5段の段丘地形がみられる。…
※「阿仁川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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