阿弥陀寺町(読み)あみだじまち

日本歴史地名大系 「阿弥陀寺町」の解説

阿弥陀寺町
あみだじまち

[現在地名]下関阿弥陀寺町あみだいじちよう

現下関市の東南、紅石べにいし山の南麓、関門かんもん海峡との間に山陽道に沿って東西に細長く広がる。町名は、源平壇之浦の合戦で入水した安徳天皇を葬った阿弥陀寺(現赤間神宮)があることによる。中世、大内家壁書にみえる「阿弥陀寺領」はこの辺りをさすといわれる。

元禄一二年(一六九九)正月一〇日付の阿弥陀院浦長左衛門の手形(伊藤文書)によれば、「伊崎浦敷網大猟候につき配当銀当浦四ツ手網中弐百拾目阿弥陀寺浦四ツ手網九帖に銘々割付仕りその分差上候ところ」とあり、漁業の地であったことがわかる。

阿弥陀寺町
あみだじちよう

上京区上立売通大宮東入

町の中央を東西に上立売かみたちうり通が通る。応仁以前の景観を描くとされる中昔京師地図にはこの付近は「アミタ寺」と記し、後に寺町てらまち通に移った阿弥陀寺(現鶴山町)があった。元亀二年(一五七一)の御借米之記と上下京御膳方御月賄米寄帳に阿弥陀寺町とみえ、当時は上京川西組に属した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報