朱塗の水天門を北にくぐると、左から水天供養塔(十三重石塔三基)・本殿・
阿弥陀寺は「豊府志略」に「開基河内国行教和尚貞観元己卯年草創也」とあり、同書によれば行教は霊夢により
「玉葉」の建久二年(一一九一)閏一二月一四日条に「以泰経尋動静於女房、今日、頗御痢病有隙之由所示也、崇徳院、并安徳天皇等、崩御之所、建一堂、可資彼御菩提、并亡命之士卒滅罪之勝因事、可申沙汰之由」とみえ、同二二日条に「取条詞、可被鎮崇徳院、安徳天皇怨霊事」「一、安徳天皇御事、長門一堂事、一同可然、国忌山陵事同前、但可依崇徳院例、依不擬神社、無奉幣之沙汰也」とあり、同二八日条に「長門国可建一堂之由可宣下者、皆任御定可宣下之由仰了」、同二九日条に「両宣下事、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
山口県下関市阿弥陀寺(あみだじ)町に鎮座。祭神は安徳(あんとく)天皇。1185年(文治1)壇ノ浦の戦いで祖母二位尼(にいのあま)(平清盛の妻)に抱かれて入水、崩御し、赤間関紅石(べにいし)山麓(さんろく)の阿弥陀寺に葬られたが、1191年(建久2)後鳥羽(ごとば)天皇は勅して御陵の上に御影堂(みえいどう)を建立、阿弥陀寺を勅願寺とした。以来皇室の厚い崇敬を受けてきたが、明治維新の神仏分離により阿弥陀寺は廃され、1875年(明治8)御影堂を赤間宮と改称、官幣中社に列した。1940年(昭和15)官幣大社に昇格、神宮号を宣下された。4月23~25日の先帝祭(せんていさい)は有名で、安徳天皇、平家一門をしのんで斎行される。社宝に長門(ながと)本『平家物語』20巻(国指定重要文化財)がある。
[阪本是丸]
山口県下関市阿弥陀寺町に鎮座。1185年(文治1)源平壇ノ浦合戦で入水した安徳天皇をまつる。ときの朝廷は長門国に勅して赤間関に御影堂を建立し,阿弥陀寺として奉祀させた。明治維新のとき安徳天皇社と改称され,さらに1875年勅旨により赤間宮(官幣中社),1940年官幣大社となり,赤間神宮と改められた。45年には戦禍にあったが,65年復興した。宝物に長門本《平家物語》などがある。
執筆者:水野 直房
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