朝日日本歴史人物事典 「陰明門院」の解説
陰明門院
生年:文治1(1185)
鎌倉前期の女院。土御門天皇の皇后。名は麗子。太政大臣大炊御門頼実の娘。父が後鳥羽上皇の腹心の女房,卿二位と結婚したことにより入内が決定。元久2(1205)年4月入内して女御となり,7月中宮となった。このとき麗子は21歳,夫の土御門はわずか11歳であった。子どもに恵まれず,土御門と別居して,卿二位の二条町の広大な邸宅内の御所(冷泉町)に住んだ。承元4(1210)年3月院号宣下。承久の乱後も東山岡崎の家で,卿二位や父頼実と同居。のち猶子の明義門院(順徳天皇の娘)と四条坊城殿で同居したが,明義門院に先立たれ,遺領は仁助法親王(土御門の子)が継承した。
(秋山喜代子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報