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陳済棠 ちんせいとう Chén Jì táng

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世界大百科事典 第2版の解説

ちんせいとう【陳済棠 Chén Jì táng】

1890‐1954
中国,広東軍閥の指導者の一人。字は伯南。広東省防城県(現,広西チワン族自治区)の人。北伐の時期に広東の守護に当たって広東に勢力を築いた。国共内戦では一貫して反共の立場をとり,海陸豊蘇維埃(ソビエト)地区への包囲攻撃に積極的に加わったが,広西軍閥あるいは汪兆銘(精衛)と結んで蔣介石としばしば抗争した。1936年,李宗仁らと抗日を掲げて両広に軍事委員会をつくり,みずから委員長となるが,失敗して下野した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

陳済棠
ちんさいとう / チェンチータン
(1890―1954)

中国の軍人。広東(カントン)省生まれ。広東陸軍軍官学校卒業。国民党内の蒋介石(しょうかいせき)と広西派の対立を利用して地歩を確立、西南軍事委員会委員長、国民党中央執行委員などを歴任した。1928年の海陸豊ソビエト攻撃、1936年には抗日気運に乗じて反蒋行動をとったが支持を得られず妥協して蒋介石についた。戦後は台湾に逃れ、閑職についた。[加藤祐三]

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