中国最南端,広東省の雷州半島の南,幅20kmの瓊州(けいしゆう)海峡を隔てて南シナ海に浮かぶ中国第2の島。瓊崖ともいう。面積3万3900km2,人口756万(2000)。漢族が大部分であるが,少数民族として土着のリー(黎)族が約107万人,明代弘治年間(1488-1505)にリー族を抑えるため,広西の百色地方から強制移住させられたミヤオ(苗)族が約5万人いる。全島が広東省の海南行政区に編成されていたが,1988年4月に海南省となり,広東省から分離した。8市,4県,7自治県よりなり,省都は海口市に置かれる。
この島はもともと雷州半島と陸続きであったが,第三紀の終りに陥没して海底となり,第四紀に隆起した後,瓊州海峡の部分だけが再び陥没して大陸と分離した。島の南寄りの中央部に北東から南西方向に五指山脈,黎母嶺山脈が走り,北部には台地と平原,および起伏に乏しい丘陵が分布する。主要河川は中央山地に源を発し,放射状に水系を構成している。海南島の年平均気温は25℃をこえ,この高温多雨の気候を利用した熱帯農業が行われる。水稲は二期作が普通で,水利のよい所では三期作が行われる。重要な経済作物としてゴム,ヤシ,サイザル麻,アブラヤシ,海島綿などを産出する。森林は中部と南部に密生し,硬質材の広葉樹が多い。解放後,鉄鋼,化学肥料,ゴムなどの工業が興り,特に製糖工業の発達が著しい。鉱物資源も豊富で鉄のほか,銀,マンガン,水晶などがある。
漢の武帝時に儋耳(たんじ)・珠崖の2郡が置かれたが,リー族の反乱が絶えず,元帝の時に放棄された。後漢時代は合浦郡に属したが,その支配は全島に及ばなかった。魏晋南北朝時代も同様であったが,隋は島の南西部に臨振州を置いた。唐は崖・儋・振の3州を置き,続いて瓊州を置き4州とした。のち瓊・崖の2州となり嶺南道に属し,都督府を瓊州に移した。唐末には崖・瓊・万安・儋・振の5州となった。五代には南漢に属し,宋は瓊州に他の4州を合併して,広南西路に隷属させ靖海軍節度使を黎母山峒に設けた。元は瓊州軍民安撫司,南寧軍,万安軍,吉陽軍を置き,海北海南道宣慰司を雷州に置き,湖広行中書省に属させた。海南島の名はこれに由来するという。明代には瓊州府が置かれ,崖・儋・万の3州を管轄して,広東省に属した。清代は明代をほぼ踏襲し,民国ははじめ瓊崖道を置いたが,のち廃止された。解放後に,海南行政区が設置された。
唐・宋時代を通じ海上交通の要衝にあたり,南海貿易に従事する中国船やアラビア船の仮泊地として利用された。また海賊の根拠地でもあり,唐代より多数の商船が略奪に遭い,明代には倭寇鎮圧のため海南兵備道を置き,警備を厳重にした。唐代には,有名な僧鑑真らが日本渡航の際,748年(天宝7)にここに漂着した。古くより蛮夷の地として,官吏,文人が流されたが,唐の李徳裕や宋の蘇軾(そしよく)などが著名である。元代にも文宗のはじめ,多数の皇族・高官が政争のためここに流された。清末の1897年(光緒23)には,フランスが海南島不割譲を清朝に約束させ,その後欧米列強,日本が注目した。民国になって国防上の要地として軍事施設を強化したが,1939年日本海軍はここを占領して,第2次世界大戦末まで統治下においた。
1983年10月に全島が〈沿海開放都市〉と同じ優遇措置を伴う〈開放地区〉に指定された。88年4月に海南省に昇格するとともに,全島を対象に〈4経済特区〉よりも優遇される〈海南経済特別区〉の指定を受けた。省政府は総合的外向型の近代的開発を計画し,外国企業の積極的誘致策をすすめている。海口市には電子等の先端技術企業を,東部には農産品加工業,南西部の石碌(シールー)鉄山付近に鉄鋼業・非鉄金属精錬業を立地させる計画である。また西部には精油・石油化学工業,火力発電所の建設をめざしている。
執筆者:林 和生
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中国南部にある島。瓊州(けいしゅう)海峡で雷州(らいしゅう/レイチョウ)半島と相対する。面積3万3900平方キロメートル。人口は確認できる公式の数字としては1994年当時で691万3660。1988年にできた海南省の主要部分をなす。省都は北端の海口(かいこう/ハイコウ)市。島の中央から南にかけて、北東から南西に向かって五指山、黎母嶺(れいぼれい)などの平均標高1500メートル前後の山脈が走る。北部は丘陵と台地が海岸平野に続くが、南部は急傾斜となっている。北緯20度以南にあるため熱帯季節風気候に属するが、降水量は東部と山地に多く西部はやや少なく、乾期が明瞭(めいりょう)である。また台風の来襲も東部に多い。
平野と谷間の水田では米の二期作、三期作が行われ、台地、丘陵ではサツマイモが栽培されるが食糧自給は困難である。経済作物としてはラッカセイ、サトウキビ、茶、ゴム、ココア、コーヒー、ジュート(黄麻(こうま))、コショウ、ヤシ、バナナ、パイナップル、マンゴーなどの栽培が盛んである。山地は森林が繁茂し、硬質材の広葉樹が多く紫檀(したん)も産出する。海岸部では漁業のほか、西岸の鶯歌海(おうかかい)などで製塩業が行われる。工業は石碌(せきろく/シールー)の鉄鋼業のほか、製糖、製茶、缶詰などの食品加工、ゴム加工などがある。伝統工芸として椰子殻(やしがら)細工、珊瑚(さんご)細工がつくられる。交通は本土との連絡口である海口が中心で、広州(こうしゅう/コワンチョウ)から空路、航路が開かれており、海口から島内を走る道路は、一周路線と中央路線の幹線のほか支線もある。1980年代に入り観光開発に力が注がれており、マイクロバスが導入され観光客の輸送にあたっている。おもな観光地は、海口郊外の五公詞、海瑞(かいずい)墓、東部の六連山、興隆華僑(かきょう)農場、南部の猿島、三亜の大東海水浴場、海食崖の連なる天涯海角などである。東南アジア各地からの華僑観光客が多く、華僑資本によるホテルの建設が進んでいる。また南部の山地に住む独自の民族文化を伝える各少数民族の村も観光コースに組み入れられており、民芸品の生産が盛んである。1988年全島が経済特区に指定され、北西部の洋浦港には近代的港湾の建設が進められている。
[青木千枝子・河野通博]
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…五代十国時代には南漢国が建てられた。宋はこれを滅ぼして,ここを広南東路としたが,西部の沿海地区と海南島は,広南西路に属した。元はこれを引き継いで,前者を江西行省,後者を湖広行省に属せしめたが,〈瘴癘(しようれい)の地〉として顧みられることは少なかった。…
…中国の広東省海南島に住む少数民族。黎(れい)族ともいう。…
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