鹿児島神宮(読み)カゴシマジングウ

デジタル大辞泉 「鹿児島神宮」の意味・読み・例文・類語

かごしま‐じんぐう【鹿児島神宮】

鹿児島県霧島市にある神社。旧官幣大社。主祭神は天津日高日子穂穂出見命あまつひたかひこほほでみのみことで、豊玉姫命を配祀。大隅おおすみ一の宮。大隅八幡宮

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「鹿児島神宮」の意味・読み・例文・類語

かごしま‐じんぐう【鹿児島神宮】

鹿児島県姶良(あいら)郡隼人(はやと)町にある神社。旧官幣大社。祭神は日子穂穂出見命(ひこほほでみのみこと)、豊玉比売尊(とよたまひめのみこと)ほか四柱。和銅元年(七〇八)に現地に遷座したと伝えられ、八幡宮の根本社として知られる。大隅国一ノ宮。大隅八幡宮。正八幡宮。国分八幡。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報

日本歴史地名大系 「鹿児島神宮」の解説

鹿児島神宮
かごしまじんぐう

[現在地名]隼人町内

うち地区の南西端、内山田うちやまだ地区との境にある。大隅国府跡(国分市府中)から西へ約二・五キロ、山を背後に控え、前は国分平野に面する小高い丘上に社殿がある。本殿から真南約三キロに鹿児島湾に面して神宮神幸地の浜之市はまのいち、その間に隼人塚がある。浜之市港外に神造かみつくり島があり、その沖合の桜島(向島)と相対する。旧官幣大社。祭神は天津日高彦穂穂出見尊・豊玉比売命・帯中比子尊・息長帯比売命・品陀和気尊・中比売命。古くは大隅正八幡などと称された。

〔鹿児島神社〕

「延喜式」神名帳所載の大隅国五座のうち、桑原くわはら郡の一座に「鹿児島神社」があり、これが鹿児島神宮の前身とされる。同帳所載の大隅・薩摩両国の神社のなかでは唯一の大社。現在の社殿の北東約三〇〇メートルの地にある石体しやくたい宮付近が、鹿児島神社の旧地であるという。鹿児島神宮主祭神の天津日高彦穂穂出見尊(ヒコホホデミノミコト)が本来は重要な位置を占めた神社であろう。この神社に八幡神が結びつき、大隅正八幡宮が成立したと考えられている。

八幡神は豊前宇佐宮(宇佐八幡)を本源とし、奈良時代以後に各地に広がったとするのが通説であるが、別に大隅国で始まったとする考え方もある。「今昔物語集」巻第一二の於石清水行放生会語第十によれば、初めに大隅国に八幡大菩薩が現れ、次に宇佐宮に移り、ついに山城国石清水いわしみずに跡を垂れたと伝える。また「水鏡」によると、神功皇后が筑紫の大隅国の宮で大盤石の影を便として「かの八幡をば産みたまふ」などとある。これらによると八幡神は宇佐よりも大隅が発祥の地といえ、「正」八幡を名称とする背景もそこに見出すことになろう。宇佐八幡と大隅正八幡の共通性として、縁起がともに巨石と深くつながっていることに注目したい。大隅正八幡の旧地に石体宮が存在することを前述したが、その神体は藁薦に覆われた巨石で、毎年その薦を替えるときには祠官が潔斎して内陣に入り、薦更の式をするといい、再び密封されるので、それを見ることができない。いっぽう宇佐八幡の奥宮になっている現大分県宇佐市と同県速見はやみ山香やまが町との境にある御許おもと山には三巨石を祀る石体権現があり、八幡大神発現前からすでに祭祀の対象とされていたと伝えている。

豊前国と大隅国両地を結びつける歴史的背景について考えると、「続日本紀」和銅七年(七一四)三月一五日条にみえる「隼人荒、野心未習憲法。 因移豊前国民二百戸、 令相勧導也」の記事が注目される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「鹿児島神宮」の意味・わかりやすい解説

鹿児島神宮
かごしまじんぐう

鹿児島県霧島(きりしま)市隼人(はやと)町に鎮座。天津日高彦穂穂出見尊(あまつひだかひこほほでみのみこと)、豊玉比売命(とよたまひめのみこと)を主神とし、相殿(あいどの)神として、帯中比子尊(たらしひこのみこと)(仲哀(ちゅうあい)天皇)、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)(神功(じんぐう)皇后)、品陀和気尊(ほんだわけのみこと)(応神(おうじん)天皇)、中比売命(なかつひめのみこと)(応神天皇皇后)を祀(まつ)る。社伝によれば、当神宮の創祀(そうし)は、神代とも、神武(じんむ)天皇の代ともいう。中古以来、大隅正八幡(おおすみしょうはちまん)あるいは国分(こくぶ)八幡とも称されてきた。延喜(えんぎ)の制で大社に列せられ、大隅国(鹿児島県東部)一宮(いちのみや)として衆庶の厚い崇敬が寄せられた。また営繕の費用は、日向(ひゅうが)(宮崎県)・薩摩(さつま)(鹿児島県西部)・大隅3国の正税をもってあてられ、後鳥羽(ごとば)天皇の建久(けんきゅう)年間(1190~1199)には社領が2500余町あり、江戸時代末まで1000石の社領を有していたという。現在の社殿は、島津氏24代、25代の2代にわたり薩摩藩の正税をもって造営された。1871年(明治4)国幣中社に列せられ、1874年鹿児島神社を鹿児島神宮と改称、官幣中社となり、さらに1895年官幣大社となった。境内及び社家跡は国指定史跡。拝殿、勅使殿(ちょくしでん)、摂社四所(せっしゃししょ)神社本殿は国の重要文化財。例祭は旧8月15日。旧正月18日に近い日曜日の初午(はつうま)祭には、神馬の鈴懸馬を先頭に多くの踊り連が踊りながら参拝する。

[落合偉洲]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「鹿児島神宮」の意味・わかりやすい解説

鹿児島神宮 (かごしまじんぐう)

鹿児島県霧島市の旧隼人町に鎮座。祭神は天津日高彦穂々出見命,豊玉姫命,相殿に品陀和気尊ほか4座。式内社,旧官幣大社。一名正八幡宮(大隅宮)。708年(和銅1)現地に遷座したと伝える。承平の乱で八幡神を配祀した。八幡の陳王伝説を流布させて社領を増加させ,中世に将軍の寄進を受け,近世には黒印領200石。6回の災にあい,現社殿は1756年(宝暦6)島津重年の改造によるもの。神宮寺弥勒院と号したが,近世末に廃絶した。1874年鹿児島神宮に改称。例祭日旧8月15日。隼人舞等の芸能がある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「鹿児島神宮」の意味・わかりやすい解説

鹿児島神宮【かごしまじんぐう】

鹿児島県姶良(あいら)郡隼人町(現・霧島市)に鎮座。旧官幣大社。天津日高彦穂々出見(あまつひたかひこほほでみ)命などをまつる。大隅国一宮で,大隅正八幡宮といわれた。延喜式内の大社。例祭は旧8月15日。
→関連項目鈴懸馬禰寝院隼人[町]

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル大辞泉プラス 「鹿児島神宮」の解説

鹿児島神宮

鹿児島県霧島市にある神社。「大隅正八幡宮」とも。延喜式内社。祭神は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)。大隅国一之宮。境内は国の史跡に指定。

出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報

事典・日本の観光資源 「鹿児島神宮」の解説

鹿児島神宮

(鹿児島県霧島市)
かごしま よかとこ100選 浪漫の旅」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android