「延喜式」神名帳所載の大隅国五座のうち、
八幡神は豊前宇佐宮(宇佐八幡)を本源とし、奈良時代以後に各地に広がったとするのが通説であるが、別に大隅国で始まったとする考え方もある。「今昔物語集」巻第一二の於石清水行放生会語第十によれば、初めに大隅国に八幡大菩薩が現れ、次に宇佐宮に移り、ついに山城国
豊前国と大隅国両地を結びつける歴史的背景について考えると、「続日本紀」和銅七年(七一四)三月一五日条にみえる「隼人荒、野心未習憲法。 因移豊前国民二百戸、 令相勧導也」の記事が注目される。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
鹿児島県霧島(きりしま)市隼人(はやと)町に鎮座。天津日高彦穂穂出見尊(あまつひだかひこほほでみのみこと)、豊玉比売命(とよたまひめのみこと)を主神とし、相殿(あいどの)神として、帯中比子尊(たらしひこのみこと)(仲哀(ちゅうあい)天皇)、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)(神功(じんぐう)皇后)、品陀和気尊(ほんだわけのみこと)(応神(おうじん)天皇)、中比売命(なかつひめのみこと)(応神天皇皇后)を祀(まつ)る。社伝によれば、当神宮の創祀(そうし)は、神代とも、神武(じんむ)天皇の代ともいう。中古以来、大隅正八幡(おおすみしょうはちまん)あるいは国分(こくぶ)八幡とも称されてきた。延喜(えんぎ)の制で大社に列せられ、大隅国(鹿児島県東部)一宮(いちのみや)として衆庶の厚い崇敬が寄せられた。また営繕の費用は、日向(ひゅうが)(宮崎県)・薩摩(さつま)(鹿児島県西部)・大隅3国の正税をもってあてられ、後鳥羽(ごとば)天皇の建久(けんきゅう)年間(1190~1199)には社領が2500余町あり、江戸時代末まで1000石の社領を有していたという。現在の社殿は、島津氏24代、25代の2代にわたり薩摩藩の正税をもって造営された。1871年(明治4)国幣中社に列せられ、1874年鹿児島神社を鹿児島神宮と改称、官幣中社となり、さらに1895年官幣大社となった。境内及び社家跡は国指定史跡。拝殿、勅使殿(ちょくしでん)、摂社四所(せっしゃししょ)神社本殿は国の重要文化財。例祭は旧8月15日。旧正月18日に近い日曜日の初午(はつうま)祭には、神馬の鈴懸馬を先頭に多くの踊り連が踊りながら参拝する。
[落合偉洲]
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