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鹿児島神宮 カゴシマジングウ

デジタル大辞泉の解説

かごしま‐じんぐう【鹿児島神宮】

鹿児島県霧島市にある神社。旧官幣大社。主祭神は天津日高日子穂穂出見命(あまつひたかひこほほでみのみこと)で、豊玉姫命を配祀大隅(おおすみ)一の宮。大隅八幡宮。

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百科事典マイペディアの解説

鹿児島神宮【かごしまじんぐう】

鹿児島県姶良(あいら)郡隼人町(現・霧島市)に鎮座。旧官幣大社。天津日高彦穂々出見(あまつひたかひこほほでみ)命などをまつる。大隅国一宮で,大隅正八幡宮といわれた。
→関連項目鈴懸馬禰寝院隼人[町]

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デジタル大辞泉プラスの解説

鹿児島神宮

鹿児島県霧島市にある神社。創祀は不明。祭神は天津日高彦穂々出見尊(あまつひこひこほほでみのみこと)、豊玉比売命(とよたまひめのみこと)。大隅国一之宮。全国正八幡の本宮で、「大隅正八幡」とも呼ばれる。

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世界大百科事典 第2版の解説

かごしまじんぐう【鹿児島神宮】

鹿児島県姶良(あいら)郡隼人町に鎮座。祭神は天津日高彦穂々出見命,豊玉姫命,相殿に品陀和気尊ほか4座。式内社,旧官幣大社。一名正八幡宮(大隅宮)。708年(和銅1)現地に遷座したと伝える。承平の乱で八幡神を配祀した。八幡の陳王伝説を流布させて社領を増加させ,中世に将軍の寄進を受け,近世には黒印領200石。6回の災にあい,現社殿は1756年(宝暦6)島津重年の改造によるもの。神宮寺は弥勒院と号したが,近世末に廃絶した。

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大辞林 第三版の解説

かごしまじんぐう【鹿児島神宮】

鹿児島県霧島市隼人町にある神社。大隅国一の宮。主神は天津日高彦穂穂出見命あまつひだかひこほほでみのみことなど。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

鹿児島神宮
かごしまじんぐう

鹿児島県霧島(きりしま)市隼人(はやと)町に鎮座。天津日高彦穂穂出見尊(あまつひだかひこほほでみのみこと)、豊玉比売命(とよたまひめのみこと)を主神とし、相殿(あいどの)神として、帯中比子尊(たらしひこのみこと)(仲哀(ちゅうあい)天皇)、息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)(神功(じんぐう)皇后)、品陀和気尊(ほんだわけのみこと)(応神(おうじん)天皇)、中比売命(なかつひめのみこと)(応神天皇皇后)を祀(まつ)る。社伝によれば、当神宮の創祀(そうし)は、神代とも、神武(じんむ)天皇の代ともいう。中古以来、大隅正八幡(おおすみしょうはちまん)あるいは国分(こくぶ)八幡とも称されてきた。延喜(えんぎ)の制で大社に列せられ、大隅国(鹿児島県東部)一宮(いちのみや)として衆庶の厚い崇敬が寄せられた。また営繕の費用は、日向(ひゅうが)(宮崎県)・薩摩(さつま)(鹿児島県西部)・大隅3国の正税をもってあてられ、後鳥羽(ごとば)天皇の建久(けんきゅう)年間(1190~1199)には社領が2500余町あり、江戸時代末まで1000石の社領を有していたという。現在の社殿は、島津氏24代、25代の2代にわたり薩摩藩の正税をもって造営された。1871年(明治4)国幣中社に列せられ、1874年鹿児島神社を鹿児島神宮と改称、官幣中社となり、さらに1895年官幣大社となった。境内及び社家跡は国指定史跡。例祭は旧8月15日。旧正月18日に近い日曜日の初午(はつうま)祭には、神馬を先頭に多くの鈴懸馬が踊りながら参拝する。[落合偉洲]

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