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隼人塚 はやとづか

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世界大百科事典 第2版の解説

はやとづか【隼人塚】

鹿児島県姶良(あいら)郡隼人町にある古代寺院跡。長径15m,高さ2mの土壇上に凝灰岩製の3基の層塔(最も高い中塔は三層塔身まで2.5m)が東西一列に並び,その両側に四天王立像が2基(東のものの高さ1.8m,西は1.45m),南西に上半身の残欠2基が配されている。このほかに仁王像も残っている。大隅国分寺に近いところから大隅国分尼寺にあてる説が一般に行われているが,塔身の四方仏や四天王像の表現は康治2年(1143)銘の大隅国分寺重層塔よりやや古いころの作品であることを示しており,必ずしも国分尼寺説を肯定させるものはない。

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国指定史跡ガイドの解説

はやとづか【隼人塚】


鹿児島県霧島市隼人町にある塚。JR日豊本線隼人駅の南西約500mに所在する方形の塚。高さ約2mの丘の上に五重石塔が3基と4体の四天王像が建ち、石塔の高さは中央が約6.6m、両脇の2基が約5.6mある。この塚は、伝承によると景行(けいこう)天皇、仲哀(ちゅうあい)天皇の時に征討した熊襲(くまそ)の亡霊を慰めようと708年(和銅3)、五重石塔3基と四天王の石像を供養塔として建てたとも、720年(養老4)の隼人の反乱における死者の慰霊のためにつくられたともいう。しかし、江戸時代の地誌『三国名勝図会』によると、「隼人塚」は現在の隼人塚より約4km北東の国分重久付近にあるとされ、さらに隼人塚から「旧正国寺跡石仏」と同じ1142年(康治1)の銘をもつ石仏が出てきたことから、現在の隼人塚は平安時代後期に正国寺(廃寺)の前身寺院としてつくられたという説が有力である。1921年(大正10)に国の史跡に指定された。現在、一帯は公園として整備され、隼人塚史跡館がある。JR日豊本線ほか隼人駅から徒歩約10分。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

隼人塚
はやとづか

鹿児島県霧島(きりしま)市隼人町見次(はやとちょうみつぎ)にある国指定史跡。上部に石層塔と四天王石像のある小塚で、伝承によると古代熊襲(くまそ)の死霊を慰めるためとも、朝廷に討たれた隼人の慰霊のためともいう。しかし、石造物は平安時代後期と推定されるので、熊襲・隼人との関係は疑問が残る。なお、江戸時代の『三国名勝図会(ずえ)』によると、隼人塚は北方の霧島市国分重久(こくぶしげひさ)の止上(とがみ)神社近くにあり、現在も神社の南西の水田の中に隼人塚とよばれる小山が保存されている。[中村明蔵]

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