日本歴史地名大系 「雀部庄」の解説
雀部庄
ささいべのしよう
- 京都府:福知山市
- 雀部庄
平安最末期雀部郷内に成立した
養和元年の官宣旨は、松尾社の供菜所天田川(由良川)で勝手に漁釣するのを停止したもので(→奄我庄)、そのなかに引かれた社司の解状に「早上自社領雀部庄堺、下至丹後堺、可停止私漁釣」とあり、松尾社の供菜所が天田川の内、社領雀部庄堺より下、丹後堺より上にあったことが知られる。
〔成立〕
雀部庄の成立事情がみられるのは、建久八年(一一九七)の沙弥証阿(相頼)譲状である(松尾大社文書)。
これによれば、当荘は松尾社神主相頼の父頼親が立荘したもので、荘の処分権は松尾惣官にではなく頼親に帰属するというのである。この事情は、建久九年一二月二〇日付の後鳥羽院庁下文(東家文書)にもみえる。この下文は同社前神主相頼法師が、社領雀部庄(年貢米弐百斛可□□之)などを
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報