奄我庄(読み)あんがのしよう

日本歴史地名大系 「奄我庄」の解説

奄我庄
あんがのしよう

古代の奄我郷(和名抄)内に成立した荘園。平治元年(一一五九)閏五月日付宝荘厳院領荘園注文(東寺百合文書)に「同国奄我庄 右大臣入道 雑器」とみえ鳥羽上皇の御願寺宝荘厳ほうしようごん(跡地は現京都市左京区)の雑器を貢進する荘園で、領家は右大臣入道徳大寺公能であった。

奄我庄は由良川が福知山市内で西流から北流に流れを変える地点右岸に位置し、南方で由良川を挟んで位置する松尾まつお社領雀部ささいべ庄と接していたが、この両荘の間で由良川の漁をめぐって争いが起きている。養和元年(一一八一)九月一六日付官宣旨(松尾大社文書)

<資料は省略されています>

とみえ、松尾社の供菜所として一般の漁を禁じていた雀部庄の由良川で、奄我庄の者が前山さきやま(現兵庫県氷上郡市島町)の荘司為盛と語らって漁をしたことから抗争が起きたもので、雀部庄の神人二人が死亡、数十人が負傷している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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