日本歴史地名大系 「雄琴庄」の解説
雄琴庄
おごとのしよう
琵琶湖岸の雄琴一―六丁目付近を庄域としたと考えられ、南は
当庄が法光寺領となった時期は未詳だが、元亨二年(一三二二)六月一四日の太政官符案(壬生家文書。以下集合文書名のないものは同文書)にみえるように苗鹿庄と同様の推移をみせる(→苗鹿庄)。室町時代に入ると、壬生家と大宮家の間に法光寺領の領有権をめぐって相論が生じるが、当庄については、ほぼ壬生家の領有権が認められていたようである。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報