難波宮跡(読み)なにわのみやあと

日本歴史地名大系 「難波宮跡」の解説

難波宮跡
なにわのみやあと

[現在地名]東区法円坂一丁目・馬場町・上町一丁目一帯

上町うえまち台地北端近く、大阪城南方にある古代の宮跡で、内裏・朝堂院部分八万九千一一一平方メートルが国指定史跡となっている。孝徳朝難波長柄豊碕なにわながらとよさき宮・天武朝難波宮・聖武朝難波宮などを総称して難波宮とよぶ。大化元年(六四五)の難波遷都以来、延暦一二年(七九三)頃廃止されるまでの約一五〇年間、難波宮は皇都や陪都として、また内外交通や外交・軍事の要衝、経済の一中心として日本古代史上に重要な地位を占めた。

日本書紀」によれば、中大兄皇子・中臣(藤原)鎌足らが皇極天皇四年六月飛鳥板蓋あすかいたぶき(跡地は現奈良県高市郡明日香村)で蘇我入鹿を暗殺し、蘇我本宗家を滅ぼしたのち、皇極天皇に代わって即位した孝徳天皇は、この年(大化元年)一二月に都を難波長柄豊碕に移したという。しかし同書大化二年以降の記事では、まず天皇は同二年正月に子代こしろ離宮に行幸し、その後白雉三年(六五二)までの間蝦蟇かわず行宮・小郡おごおり宮・難波碕なにわさき宮・味経あじふ宮・大郡おおごおり宮などの諸宮に移り住み、同元年頃から東漢氏の一族荒田井直比羅夫を宮殿造営の長官である将作大匠に任じ、宮地の境界の標識を立てて大規模な整地作業を行い、宮殿の建造に着手、同二年一二月に新宮に遷居して難波長柄豊碕宮と号したとある。このとき造営が一段落したのであろう。諸宮の最初にみえる子代離宮は子代屯倉の改造である旨の注が同書にみえ、小郡宮も小郡の改造であると同書にあるように、長柄豊碕宮以前の諸宮の多くは、既存の朝廷所管の施設を改築したものらしく、改新の政治がある程度進行して政治に余裕ができたのち、新しい企画に基づいて造営したのが長柄豊碕宮といえよう。これが完成したのは同三年九月で、同書に「其の宮殿の状、ことごとく論ずべからず」とあり、当時としてはきわめて壮大な建築と考えられる。完成の次の年に孝徳天皇と中大兄皇子の不和が表面化し、中大兄は皇極上皇・間人皇后や百官らとともに飛鳥河辺あすかかわべ行宮(跡地は現明日香村)に移り、天皇は恨んで皇位を去ろうとも思ったが、翌白雉五年一〇月に長柄豊碕宮で没し、南庭で殯が行われた。長柄豊碕宮の所在地は後述のように遺跡の存在から東区法円坂ほうえんざか一丁目一帯と推定されるが、それ以外の上記の諸宮の所在地は不明である。斉明天皇元年(六五五)正月三日皇祖母(先の皇極天皇)が飛鳥板蓋宮で重祚(斉明天皇)、同年七月一一日難波朝において越の蝦夷、陸奥の蝦夷および百済の調使に饗し、また同六年一二月二四日には百済救援軍を発するために難波宮に幸している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

国指定史跡ガイド 「難波宮跡」の解説

なにわのみやあと【難波宮跡】


大阪府大阪市中央区法円寺・大手前にある宮殿跡。指定名称は「難波宮跡 附法円坂遺跡(つけたりほうえんざかいせき)」。1954年(昭和29)からの発掘調査 によって、奈良時代よりも一時代古いとみられる柱列跡が検出し、火災の跡が認められたことから、686年(朱鳥1)に全焼した孝徳朝の宮、前期難波宮跡と推定された。1961年(昭和36)には聖武天皇時代の後期難波宮の大極殿跡が発見されたことで、ほぼ中軸線を同じくし、前期と後期に大別される難波宮の遺構が重複して存在することが判明した。そのほか、6~7世紀前半の掘立柱建物群跡、5世紀代の大型建物群跡も発見。古代史上の重要な宮殿遺跡であることから、1964年(昭和39)に国の史跡に指定され、その後、数度の追加指定を受けた。難波宮の遺跡は周辺にも及んでおり、法円坂遺跡は5世紀後半に作られた倉庫の跡で、2列16棟からなる大型倉庫群。倉庫は平均90m2の面積をもつ高床式の建物で、これらは西国の屯倉(みやけ)から貢納される品物を収納した倉庫だったと推定されている。地下鉄谷町線谷町四丁目駅から徒歩すぐ。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「難波宮跡」の意味・わかりやすい解説

難波宮跡
なにわきゅうせき

大阪市中央区法円坂町を中心に所在する古代宮殿址。 1954年以来の発掘調査によって,ほぼ中軸線を同じくする前後2時期の宮殿址が重複して発見され,主として内裏,朝堂院など中心部の状況が明らかにされている。前期難波宮は大化改新 (645) の難波遷都に伴って造営された孝徳朝の難波長柄豊碕宮 (なにわのながらのとよさきのみや) で,天武朝の朱鳥1 (686) 年正月に焼失した遺構と推定されている。後期難波宮は聖武朝に造営された奈良時代の難波宮の遺構である。いずれも藤原宮,平城宮に匹敵する宮域を有していたと思われ,難波京復元の試みも行われている。 53年国の史跡に指定。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

知恵蔵 「難波宮跡」の解説

難波宮(なにわのみや)跡

大阪市中央区にある7〜8世紀(飛鳥〜奈良時代)の首都・副都の遺跡で、2004年2月に国家祭祀の珍しい絵馬37点、宮の北限が確かめられ、南北約754m、東西約615mの規模などが分かった。同遺跡からは、年号が分かる最古の「戊申(ぼしん)(648)年」と書かれた木簡、行政組織の「郡」に先立つ650年前後の最古の「評」木簡が判明し、奈良県明日香村の飛鳥池遺跡で出土した7世紀後半の最古の「天皇」木簡などと共に、古代史上の最重要木簡資料とされている。

(天野幸弘 朝日新聞記者 / 今井邦彦 朝日新聞記者 / 2007年)

出典 (株)朝日新聞出版発行「知恵蔵」知恵蔵について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android