鶴沢寛治(読み)ツルザワ カンジ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「鶴沢寛治」の解説

鶴沢 寛治(6代目)
ツルザワ カンジ


職業
義太夫節三味線方(文楽)

専門
人形浄瑠璃,三味線

肩書
重要無形文化財保持者(人形浄瑠璃文楽・三味線)〔昭和37年〕

本名
白井 治三郎(シライ ジサブロウ)

別名
前名=竹沢 団次郎,竹沢 団六(6代目),鶴沢 寛治郎(3代目)

生年月日
明治20年 10月17日

出生地
京都

経歴
明治29年5代目竹沢団六(のちの9代目竹沢弥七)に入門、団次郎を名乗る。33年2代目鶴沢寛治郎に師事して鶴沢姓を名乗る。43年6代目竹沢団六、昭和12年3代目鶴沢寛治郎を経て、31年6代目鶴沢寛治を襲名。この間、15年紋下・3代目竹本津太夫、25年には女婿・4代目津太夫の相三味線となる。明治期の名人豊沢団平の芸風をうけつぐ最後の人といわれ、37年人間国宝に認定される。

受賞
日本芸術院賞(昭46年度)〔昭和47年〕 勲三等瑞宝章〔昭和49年〕 大阪芸術賞〔昭和44年〕,大阪文化祭賞(金賞)〔昭和46年〕,毎日芸術賞(昭46年度)〔昭和47年〕,名古屋演劇ペンクラブ年間賞〔昭和47年〕,NHK放送文化賞〔昭和48年〕,上方芸能人顕彰〔昭和59年〕

没年月日
昭和49年 8月20日 (1974年)

家族
二男=鶴沢 寛治(7代目 義太夫三味線方),孫=竹本 緑太夫

親族
女婿=竹本 津太夫(4代目)


鶴沢 寛治(5代目)
ツルザワ カンジ


職業
義太夫節三味線方(文楽)

専門
人形浄瑠璃,三味線

別名
前名=鶴沢 寛次郎

生年月日
嘉永2年

出生地
堺(大阪府 堺市)

経歴
5代目鶴沢伝吉の門弟。幼少から三絃に親しみ明治7年頃4代寛治に名跡を譲られ5代目寛治を襲名。8年1月大阪・松島の文楽座で竹本重太夫の相方を務め好評多病で、14年3月同座の「妹背山婦女庭訓」の三絃が最後。

没年月日
明治17年 2月5日 (1884年)

家族
養父=鶴沢 寛三郎

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「鶴沢寛治」の意味・わかりやすい解説

鶴沢寛治(7世)
つるざわかんじ[ななせい]

[生]1928.9.27. 京都,京都
[没]2018.9.5. 奈良,生駒
義太夫節三味線方。本名白井康夫。6歳で地唄と琴,13歳で義太夫三味線の手ほどきを受ける。1943年父 3世鶴沢寛治郞(のちの 6世鶴沢寛治)に入門して鶴沢寛子(つるざわかんこ)を名のり,同 1943年10月四ツ橋文楽座(→文楽座)で初舞台。1944年鶴沢寛弘(つるざわかんこう)と改名する。1949年に文楽が二派に分裂した当初は三和会(みつわかい)に所属したが,翌 1950年に因会(ちなみかい)に復帰,父のもとで修業にいそしんだ。1956年に 8世竹沢団六を襲名。1963年の文楽協会設立後は,次代を担う存在と目されたが,特定の太夫との相三味線契約は結ばなかった。おおらかな余韻のある美音が最大の特徴で,戦前の修業を経験した最後の世代であり,父譲りの彦六座系の奏法を伝える貴重な存在であった。1994年に最高位である三味線格となり,1997年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定される。2001年由緒ある名跡鶴沢寛治の 7世を襲名。1999年勲四等旭日小綬章を受章。2002年大阪芸術賞受賞など,数多くの賞に輝く。(→浄瑠璃人形浄瑠璃

鶴沢寛治(6世)
つるざわかんじ[ろくせい]

[生]1887.10.17. 京都
[没]1974.8.20.
義太夫節の三味線方。本名白井治三郎。9世竹沢弥七,2世鶴沢寛治郎に師事。3世寛治郎を経て,1956年 6世寛治となる。3世竹本津太夫,4世竹本津大夫の相三味線を務め,時代物を得意とした。2世野沢喜左衛門とともに昭和期を代表する名人。1962年重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「鶴沢寛治」の意味・わかりやすい解説

鶴沢寛治
つるざわかんじ

義太夫(ぎだゆう)節の三味線。土橋寛治を通称とする初世(生没年未詳)は、1750年(寛延3)から豊竹(とよたけ)座に出座して、島太夫や2世此太夫(このたゆう)を弾いた。4世は鬼寛治といわれるほどの健腕で、1830~1840年代に活躍し、『関取千両幟』(せきとりせんりょうのぼり)で櫓太鼓(やぐらだいこ)の曲弾(きょくび)きを始めたという。晩年は伊勢(いせ)の桑名に住み、その名を全国にとどろかせた。

[倉田喜弘 2018年7月20日]

6世

(1887―1974)初め竹沢団二郎、同団六を経て3世鶴沢寛治郎と改名。櫓下(やぐらした)3世竹本津太夫の最晩年に相三味線となった。1950年(昭和25)から4世津大夫の相三味線となり、1956年に6世寛治を襲名、1962年には重要無形文化財保持者に認定され、生涯にわたって豪快な撥(ばち)さばきをみせた。7世(1928―2018)は6世の子で前名竹沢団六。1997年(平成9)に重要無形文化財保持者に認定され、2001年に7世寛治を襲名した。

[倉田喜弘 2018年9月19日]

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改訂新版 世界大百科事典 「鶴沢寛治」の意味・わかりやすい解説

鶴沢寛治 (つるざわかんじ)

義太夫節の三味線演奏者。(1)初世 (18世紀中ごろ-1809(文化6)ころ) 初世鶴沢友治郎門人。1760年(宝暦10)鶴沢亀次郎から寛治と改名,のち寛翁。通称土橋。66年(明和3)から一時竹本座に出勤したが,主として豊竹系の座で活躍,2世豊竹島太夫らを弾いた。(2)4世 生没年不詳。3世の門人。富造,2世文吾から,1826年(文政9)4世を襲名。同年《関取千両幟(せきとりせんりようのぼり)》で櫓太鼓の曲弾きをはじめ,19世紀半ばまで,鬼寛治と呼ばれたほどの強腕で鳴らし,54年(安政1)《壇浦兜軍記》の琴責めの曲弾きでも喝采をうけた。(3)6世(1887-1974・明治20-昭和49) 本名白井治三郎。9世竹沢弥七の門人,のち2世鶴沢寛治郎の預り弟子となる。鶴沢団治郎,6世竹沢団六,3世鶴沢寛治郎を経て,1956年,6世を襲名。3世豊沢団平を崇拝した彦六系の芸。3世,4世竹本津太夫を弾いた。重要無形文化財保持者。
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20世紀日本人名事典 「鶴沢寛治」の解説

鶴沢 寛治(6代目)
ツルザワ カンジ

明治〜昭和期の義太夫節三味線方(文楽)



生年
明治20(1887)年10月17日

没年
昭和49(1974)年8月20日

出生地
京都

本名
白井 治三郎

別名
前名=鶴沢 寛治郎(3代目)

主な受賞名〔年〕
大阪芸術賞〔昭和44年〕,日本芸術院賞〔昭和46年〕,毎日芸術賞〔昭和46年〕,名古屋演劇ペンクラブ年間賞〔昭和47年〕,上方芸能人顕彰〔昭和59年〕

経歴
明治29年9代竹沢弥七に入門、団次郎を名乗る。33年2代鶴沢寛治郎に師事して鶴沢姓を名乗る。6代竹沢団七、3代寛治郎を経て、昭和31年6代寛治を襲名。明治期の名人豊沢団平の芸風をうけつぐ最後の人といわれ、3代竹本津太夫、4代竹本津太夫の相三味線を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「鶴沢寛治」の解説

鶴沢寛治(4代)

生年:生没年不詳
江戸後期の義太夫節三味線弾き。摂州難波村(大阪市)出身。通称鬼寛治。3代目寛治の門弟。富造,2代目文吾を経て文政9(1826)年に寛治を襲名。天保・嘉永年間(1830~54)に活躍した。腕達者で「関取千両幟」の櫓太鼓の曲弾きを始めたといわれている。明治初年,5代目に名を譲り寛翁と称した。なお寛治の名前は,宝暦10(1760)年に初代鶴沢友次郎の門弟が名乗ったのが初めである。また6代目寛治は昭和期の重要無形文化財保持者。<参考文献>『義太夫年表/近世篇2,3』,4代目竹本長門太夫著・木谷蓬吟校訂『浄瑠璃大系図』(音曲叢書6巻)

(鎌倉惠子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鶴沢寛治」の解説

鶴沢寛治(6代) つるざわ-かんじ

1887-1974 明治-昭和時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
明治20年10月17日生まれ。はじめ9代竹沢弥七,のち2代鶴沢寛治郎の門人。昭和31年6代寛治を襲名。37年人間国宝。娘婿4代竹本津太夫の三味線方をつとめた。昭和49年8月20日死去。86歳。京都出身。本名は白井治三郎。初名は竹沢団治郎,のち竹沢団六(6代)。前名は鶴沢寛治郎(3代)。

鶴沢寛治(7代) つるざわ-かんじ

1928- 昭和-平成時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
昭和3年9月27日生まれ。6代鶴沢寛治の次男。昭和18年父に入門する。鶴沢寛子(かんこ)(のち寛弘(かんこ))をへて,8代竹沢団六を名のる。平成6年文楽三味線最高の三味線格となる。9年人間国宝。13年7代鶴沢寛治を襲名。京都出身。本名は白井康夫。

鶴沢寛治(4代) つるざわ-かんじ

?-? 江戸後期-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
3代鶴沢寛治の門人。文政9年(1826)4代寛治を襲名する。「関取千両幟(のぼり)」の櫓(やぐら)太鼓の曲弾きで知られる。腕達者で鬼寛治といわれた。摂津難波村(大阪府)出身。初名は富造。前名は鶴沢文吾(2代)。後名は寛翁。

鶴沢寛治(5代) つるざわ-かんじ

1849-1884 幕末-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
嘉永(かえい)2年生まれ。3代鶴沢寛治の高弟鶴沢寛三郎の養子。5代鶴沢伝吉の門人。明治7年5代寛治を襲名した。明治17年2月5日死去。36歳。和泉(いずみ)(大阪府)出身。姓は大盛。名は寛治郎。前名は鶴沢寛治郎。

鶴沢寛治(初代) つるざわ-かんじ

?-? 江戸時代中期-後期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
義太夫節三味線の名家。初代鶴沢友次郎の門人。寛延3年(1750)大坂豊竹座に初出演。宝暦10年(1760)寛治を名のる。名手として初代鶴沢文蔵とならび称された。通称は土橋寛治。初名は鶴沢亀次郎。後名は花蝶軒,観西翁。

鶴沢寛治(3代) つるざわ-かんじ

?-1821 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
初代鶴沢寛治の門弟。文化12年(1815)3代寛治を襲名した。文政4年3月11日死去。初名は鶴沢文吾(初代)。前名は鶴沢八兵衛(初代)。

鶴沢寛治(2代) つるざわ-かんじ

?-? 江戸時代中期-後期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
大坂の人。初代鶴沢寛治の門人。寛政8年(1796)2代寛治を襲名する。前名は鶴沢儀七。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「鶴沢寛治」の解説

鶴沢 寛治(6代目) (つるさわ かんじ)

生年月日:1887年10月17日
明治時代-昭和時代の浄瑠璃三味線方
1974年没

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