摂津(せっつ)国深江村(大阪市東成(ひがしなり)区深江南三丁目)でつくられた菅笠のこと。すでに『万葉集』にうたわれており、『延喜式(えんぎしき)』内匠寮(たくみりょう)の規定に、摂津笠縫(かさぬい)氏の作製を記している。中世では農間副業として菅笠を製作する座があり、販売の座としては、南北朝期の天王寺(てんのうじ)門前の浜市(はまいち)に、笠の本座、新座があった。1496年(明応5)にはこの両座の権利を1人の問屋が掌握し、京都、奈良、堺(さかい)、天王寺と、その後背地の五畿内(きない)の販売独占権を行使していた(『和長卿記(かずながきょうき)』『大乗院寺社雑事記(だいじょういんじしゃぞうじき)』)。問屋の専売の座特権は楽座(らくざ)令で否定されたが、農民の笠生産は近世にも続き、笠縫唄(うた)が残っている。近代にも、伊勢(いせ)遷宮などの際に製作されている。
[脇田晴子]
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