霧島連山南麓、南流する霧島川右岸にある。現在の主祭神は天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊、木花開姫尊・彦火火出見尊・豊玉姫尊・草葺不合尊・玉依姫尊・神倭磐余彦尊を配祀する。旧官幣大社。旧称は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
鹿児島県霧島市霧島田口(きりしまたぐち)に鎮座。天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊(あめにぎしくににぎしあまつひだかひこほのににぎのみこと)を主神とし、木花開耶姫尊(このはなさくやひめのみこと)、天津日高日子穂穂出見尊(あまつひだかひこほほでみのみこと)、豊玉姫尊(とよたまひめのみこと)、鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、玉依姫尊(たまよりひめのみこと)、神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)を祀(まつ)っている。社伝によれば、当社の創建は欽明(きんめい)天皇の代という。『続(しょく)日本後紀』承和(じょうわ)4年(837)8月朔(ついたち)の条に、日向(ひゅうが)国諸県(もろかた)郡の霧嶋岑神が官社にあずかったとある。『三代実録』天安(てんあん)2年(858)10月22日条に、日向国霧島神に従(じゅ)四位下が授けられたと記されている。延喜(えんぎ)の制で小社に列せられた。鎌倉時代、霧島山の大噴火により社殿を焼失、のち、社殿を山の東にあたる長尾山に移し、東霧島神社と称した。1484年(文明16)島津忠昌(ただまさ)(1463―1508)はこの社を東西両社に分け、東社を瀬戸尾に遷座(現在霧島東神社という)、西社が現在の霧島神宮である(本殿、幣殿、拝殿は国宝)。1874年(明治7)までは霧島神社と称され、薩摩(さつま)藩歴代の厚い尊崇と衆庶の崇敬が寄せられた。同年、霧島神宮と改め、官幣大社に列せられた。例祭は9月19日。旧暦1月1日には散籾祭(うちまきさい)、旧暦2月4日に御田植(おたうえ)祭、また春秋二度ずつ年4回の猿田彦命(さるたひこのみこと)巡行祭、11月10日には天孫降臨記念祭が行われる。
[落合偉洲]
鹿児島県霧島市の旧霧島町に鎮座。天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵(あめにぎしくににぎしあまつひだかひこほのににぎ)尊を主神とし,そのほかに6柱の神を相殿(あいどの)にまつる。社伝によると欽明天皇の時代に創建されたという。平安時代の《続日本後紀》に霧嶋岑神,また《三代実録》や《延喜式》に霧島神の名が見えている。9月19日の大祭のほか,年間を通し多くの祭りがある。旧官幣大社。
執筆者:落合 偉洲
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
鹿児島県霧島市霧島田口に鎮座。旧官幣大社。祭神は天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵(あめにぎしくににぎしあまつひこひこほのににぎ)尊・木花開耶姫(このはなさくやひめ)命・彦火火出見(ひこほほでみ)尊ほか4神。古く僧慶胤が背門丘に社殿を造営したとされ,天暦年間(947~957)には性空が瀬戸尾越に社殿と別当寺を造営したと伝える。噴火による焼失後,1484年(文明16)島津忠昌が現在地に社殿と別当寺を再興した。837年(承和4)に官社に列した式内社霧島神社にあたるか。例祭は9月19日。特殊神事に散籾祭・お田植祭・天孫降臨御神火祭がある。
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