日本歴史地名大系 「霧生村」の解説 霧生村きりうむら 三重県:名賀郡青山町霧生村[現在地名]青山町霧生諸木(もろき)・腰山(こしやま)両村の南に位置し、東は布引(ぬのびき)山地の南端部を形成する髻(もとどり)ヶ岳(七七九メートル)をもって伊勢国に境する。髻ヶ岳の北に塩見(しおみ)峠、南に布引峠(八知峠)があり、伊勢国川口(かわぐち)(現一志郡白山町)へ通じる。とくに塩見峠越は阿保越参宮道の一枝道であり、上出(かみで)地区の両峠道への分岐点に立つ道標に「左しをない津松坂、右やちわかみや是より六十丁」と刻まれている。村域の大部分は山地であるが、南方高尾(たかお)村古田(ふるた)に源を発する川上(かわかみ)川とその支流和気(わき)川合流点付近にわずかに扇状地が広がり、両河川に沿って耕地と集落がある。両峠道分岐点少し西に古墳―平安時代の遺物を包含する村瀬(むらせ)遺跡がある。戦国時代には北畠氏の勢力が伸び、伊勢国司諸司系図(上野市沖森直三郎氏蔵)に「霧生城主伊賀口鎮福山出雲守・霧生丸山之城主本比条丸山半蔵・霧生城代伊賀口加番福山越後守・霧生城加番中村左馬佐」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by