露橋村(読み)つゆはしむら

日本歴史地名大系 「露橋村」の解説

露橋村
つゆはしむら

[現在地名]南陽市露橋

吉野よしの川扇状地の扇端上無かみなし(高松川)左岸に位置する。同川を挟んで北西関根せきね村、東は宮崎みやざき村。村名の起源について「沖郷村史」に「樹木到ル処ニ繁茂ス、殊ニ高松川ノ岸辺ハ昼尚暗ク、橋上ノ露ダモ乾カス処ヨリ村名出ヅ」とある。天文七年(一五三八)の段銭古帳の下長井のうちに「四〆仁百五十文 露はし」とある。同二二年の晴宗公采地下賜録では、松木但馬守に「下長い露はしの内、いち川しなのふん一けん」が、小々高大炊助に「露はしの内、とミつかあふミのふん」が下賜されている。天正一二年(一五八四)の下長井段銭帳に「露橋ほんたんセん四〆仁百五十文三分一ニ、壱〆仁百九十壱文うけとり申候、おとなこんの与宗さへもん殿」とある。


露橋村
つゆはしむら

[現在地名]中川区前並まえなみ町・むかえ町・露橋町・西宮にしみや町・横堀よこぼり町・運河うんが

西の北一色きたいつしき村境には笈瀬おいせ川が流れ、村の北部でほり川へ落ちる水路が分れる。これを「三間杁江筋」と称した。現在は中川運河堀川を結ぶ横堀東西に通っている。寛文一一年(一六七一)の家数二七、人数一七五(寛文覚書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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