青年ヘーゲル派(読み)せいねんヘーゲルは

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「青年ヘーゲル派」の意味・わかりやすい解説

青年ヘーゲル派
せいねんヘーゲルは

ヘーゲル死後分裂したヘーゲル学派一つで,ヘーゲル左派とも呼ばれる。この派の形成端緒となったのは D.F.シュトラウスや L.A.フォイエルバハらによるヘーゲルのキリスト教論に対する批判であった。彼らは A.ルーゲが 1838年に創刊した『ハレ年報』によって思想集団を形成し,ヘーゲル哲学を現実的に乗越えようとした。これはやがてマルクスを生み出す思想的土壌となった。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「青年ヘーゲル派」の解説

青年ヘーゲル派(せいねんヘーゲルは)
Junghegelianer

ヘーゲルの死後弟子たちは右派,中道派,左派に分裂したが,この左派をさす。ヘーゲル哲学を神学的であると批判し,宗教の人間学的・唯物的解釈を試み,ヘーゲルにおいて観念的に統一されていた理性と現実の矛盾を,政治的・経済的実践によって克服しようとした。シュトラウス,フォイエルバハ,ルーゲらがこの派に属する。マルクス主義源流

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世界大百科事典(旧版)内の青年ヘーゲル派の言及

【エンゲルス】より

…思想的転回は1838年ブレーメンで貿易商の見習をはじめたころから顕著になる。はじめ自由主義的文芸運動で頭角をあらわし,やがて哲学・政治運動の青年ヘーゲル派に接近,さらに41年からのベルリン滞在(1年志願兵)の間に青年ヘーゲル派の潮流のなかで共産主義思想に傾く。この共産主義を具体的な構想として定着させたのが42年末からのイギリス体験である。…

【ヘーゲル学派】より

…ヘーゲル哲学の後継者,批判者,研究者などの一般的呼称。ヘーゲルは,宗教と理性,教会と国家,自由と法の和解と調和を説く,プロイセンの国家哲学者としての役割を果たしていた。1831年ヘーゲルの死をきっかけとして,ヘーゲル哲学がかろうじてつなぎとめていたそれぞれの対立項は,ヘーゲル哲学への内在的批判という形で解体していった。ヘーゲル学派はD.F.シュトラウスの《イエス伝》(1835‐36)の公刊を機に分裂した。…

※「青年ヘーゲル派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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