フォイエルバハ(読み)ふぉいえるばは(英語表記)Paul Johann Anselm von Feuerbach

日本大百科全書(ニッポニカ) 「フォイエルバハ」の意味・わかりやすい解説

フォイエルバハ(Ludwig Andreas Feuerbach)
ふぉいえるばは
Ludwig Andreas Feuerbach
(1804―1872)

ドイツヘーゲル左派を代表する哲学者、宗教批評家。

[藤澤賢一郎 2018年1月19日]

生涯

刑法学者の四男としてバイエルンランツフートに生まれ、啓蒙(けいもう)主義的な雰囲気のなかで育った。早くから宗教に関心を抱き、ハイデルベルクとベルリンで神学を学んだが、ヘーゲルの影響を受けて1825年エルランゲン大学哲学部に移る。1829年同大学で私講師となるが、キリスト教を利己的で非人間的な宗教であると批判して当局の反感を買い、1832年失職した。復職を断念して1836年以降はブルックベルクで著述に専念、かたわら自然科学の研究にもいそしむ。哲学史研究から出発したが、ルーゲの主宰する『ハレ年報』に『ヘーゲル哲学批判』(1839)など、独自の思想を発表するようになって名声を築き、1841年には代表作『キリスト教の本質』を刊行して、マルクスエンゲルスに大きな影響を与えた。1848年にはハイデルベルク大学で宗教論を講じた。1860年に妻の陶器工場が破産してレッヘンベルクに移住、晩年は貧窮のうちに没する。

[藤澤賢一郎 2018年1月19日]

思想

彼独自の思想はヘーゲル哲学の批判から始まる。デカルト、ベーコン以来の近世哲学は、理性の神格化を世界全体にまで拡大することによって、哲学へと転化した神学にほかならない。近世哲学を完成したヘーゲルには、神学の立場にたって神学自身を否定するという矛盾が隠されている。この矛盾を解決する哲学は神とか絶対者ではなく、有限で自然的な個物を端緒とすべきである。それは知情意を備えた全体としての現実的人間であると、彼は考えた。実在性をもつのは物質であるから、観念論は乗り越えられねばならないが、意識を単純に物質へと還元する機械的唯物論も許されない。真の立場は、対象化の活動を行う類的存在としての人間を原理にした、自然主義的な唯物論的人間学であるとして、彼は新しい哲学的立場を提唱する。この観点からすると神は人間の対象化された本質であることがわかる。それゆえ跪拝(きはい)と強制を要求する神は、人間の産物でありながら人間を支配するという倒錯として、人間の疎遠にされた本質、すなわち自己疎外態として退けられねばならない。そしてこのような神について思弁する神学は、人間学へと解消さるべきである。ところで人間の本質は共同性にあり、それは他人との合一を求める衝動のなかに現れている。私と君の真実の関係は愛であり、我々は合歓(ごうかん)によってこの現世で善き生活へと至らねばならない。これがフォイエルバハの思想の概略である。

[藤澤賢一郎 2018年1月19日]

影響

自らは静謐(せいひつ)な生活を好み、政治運動には関与しなかったが、鋭い宗教批判は19世期中葉のドイツに興奮を引き起こし、政治運動にも多大な精神的影響を与えた。社会・歴史に関する考察は乏しかったが、マルクスらの史的唯物論に至る道を開いたヘーゲル左派のもっとも重要な思想家である。

[藤澤賢一郎 2018年1月19日]

『篠田一人・中桐大有・田中英三訳『フォイエルバッハ選集』全3巻(1968~1970・法律文化社)』『船山信一訳『フォイエルバッハ全集』全18巻(1973~1976・福村出版)』『船山信一訳『キリスト教の本質』全2冊(岩波文庫)』『松村一人・和田楽訳『将来の哲学の根本命題 他二編』(岩波文庫)』『K・レヴィット著、柴田治三郎訳『ヘーゲルからニーチェへ』全2冊(1952、1953・岩波書店)』『城塚登著『フォイエルバッハ』(1958/オンデマンド版・2011・勁草書房)』『レーヴィット、ボーリン著、斎藤信治・桑山政道訳『フォイエルバッハ』(1971・福村出版)』『エンゲルス著、松村一人訳『フォイエルバッハ論』(岩波文庫)』


フォイエルバハ(Paul Johann Anselm von Feuerbach)
ふぉいえるばは
Paul Johann Anselm von Feuerbach
(1775―1833)

ドイツの刑法学者。哲学者ルートウィヒ・フォイエルバハの父。イエナ市の近郊ハイニッヒェンに生まれる。1799年母校イエナ大学の私講師となり、以後イエナ、キール、ランツフートの諸大学の教授となったが、1805年教壇を去ってバイエルン州の枢密顧問官補となり、その間に刑法制定事業に従事し、1813年のバイエルン刑法を生み出した。また、1806年に彼の努力で拷問が廃止されたことは有名である。1814年から死に至るまで、バンベルク、アンスバハの各控訴院長を歴任した。その刑法理論はカント哲学に立脚した合理主義で、人間は犯罪によって得られる快楽と刑罰によって得られる苦痛とを比較しながら行動するものだとする、いわゆる心理強制説を主張し、その結果、刑罰は犯罪によって得られる快楽に対応する苦痛を内容とするものでなければならず、しかも刑罰はあらかじめ国民に予告されていなければならないとする、いわゆる罪刑法定主義が強調されることとなった。ドイツにおける近代刑法学の創立者とされるゆえんである。

[西原春夫]

『菊池栄一・宮沢浩一訳『一法律家の生涯』(『ラートブルフ著作集7』所収・1963・東京大学出版会)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「フォイエルバハ」の意味・わかりやすい解説

フォイエルバハ
Feuerbach, Ludwig Andreas

[生]1804.7.28. ランツフート
[没]1872.9.13. ニュルンベルク近郊レーヒェンベルク
ドイツの唯物論哲学者。キリスト教批判で知られる。ヘーゲル哲学左派に属する。ベルリン大学に学び,ヘーゲルの影響を強く受けた。 1828年エルランゲル大学講師となったが,30年匿名の論文『死と不死についての考察』 Gedanken über Tod und Unsterblichkeitでキリスト教を批判し,32年大学を追われた。ブルックベルクに隠退後は,一時期 (1848~49年の冬学期) ハイデルベルク大学に出講したが,大半をヘーゲル哲学とキリスト教批判の著述に費やした。主著『キリスト教の本質』 Das Wesen des Christentums (41) はマルクス,エンゲルスらに多大の影響を与えた。

フォイエルバハ
Feuerbach, Anselm

[生]1829.9.12. スパイエル
[没]1880.1.4. ウィーン
ドイツの画家。哲学者 L.フォイエルバハの甥で,ドイツ後期古典主義の代表。 1845年にジュッセルドルフ・アカデミーに入学,ミュンヘン,パリで学んだのち 55~73年にはイタリアに滞在,V.ティツィアーノの作品から影響を受けた。 73~76年ウィーン美術学院教授をつとめ,再びイタリアを訪れたがウィーンに戻り死亡。主要作品『イフィゲネイア』 (1862,71) ,『アマゾンの戦い』 (69~73,) ,義母の H.フォイエルバハの肖像。

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