ヘーゲル哲学の後継者,批判者,研究者などの一般的呼称。ヘーゲルは,宗教と理性,教会と国家,自由と法の和解と調和を説く,プロイセンの国家哲学者としての役割を果たしていた。1831年ヘーゲルの死をきっかけとして,ヘーゲル哲学がかろうじてつなぎとめていたそれぞれの対立項は,ヘーゲル哲学への内在的批判という形で解体していった。ヘーゲル学派はD.F.シュトラウスの《イエス伝》(1835-36)の公刊を機に分裂した。《イエス伝》は,歴史的世界に生きる人間としてのイエス像と,聖書の記載とが一致しないことを雄弁に説いて,同時代人に衝撃を与えた。そして,ヘーゲルの神人イエス(神と理性的人間との一致の象徴)という観念は聖書に一致しないとする立場を,シュトラウスは左派と呼び,部分的一致を説く立場を中央派(ローゼンクランツJ.K.F.R.Rosenkranzなど)と,完全な一致を信ずる立場を右派(ゲッシェルK.F.Göschel,ガーブラーG.A.Gablerなど)と呼んだ。問題は三つあった。〈霊魂の不死〉〈神の人格性〉〈哲学と宗教の和解〉が可能かどうか。シュトラウスは〈人間性は人間化した神,無限性へと疎外された神と,その無限性を自己に内面化(想起)する有限の精神との合一である〉と語って,宗教を哲学にひきよせる。すると,人格性と不死は虚妄となってしまうと彼は考えた。右派の一人にB.バウアーがいた。彼は先輩格の牧師マールハイネケP.K.Marheinekeに委嘱されて,ヘーゲルの《宗教哲学講義》の第2版を編集していた。そのとき,匿名で《無神論者ヘーゲルへの最後の審判の大らっぱ(ポザウネ)》という奇妙なパンフレットが出た。ヘーゲルの正体は悪魔だと唱えて,〈彼の策略を水泡に帰せしむるは,まことの信仰者たるものの務めである〉と,まるで〈かたぶつ〉の正統派キリスト教徒がヘーゲル退治を買って出たという書きぶりである。〈最後通牒〉を名のる匿名の筆者は,〈ヘーゲルの神への憎しみ〉〈宗教の破壊〉を告発した。そこには巧妙で精緻をきわめたヘーゲルからの引用がちりばめられていた。ヘーゲルその人が書いたかと思われる文体で,彼が自己の反キリスト教性を告白しているかのようである。〈自己意識は,世界と歴史の唯一の力であり,歴史は自己意識の生成と展開にほかならない〉。
筆者は右派が希望を託したB.バウアーだった。彼は一躍,左派を代弁する危険人物となり,その周りにはマルクスなど,若手の急進主義者が群がった。エヒターマイヤーE.T.Echtermeyerとルーゲの編集する《ハレ年誌》には,シュトラウス,L.A.フォイエルバハ,バウアーが結集した。彼らは青年ヘーゲル学派とも呼ばれ,ヘーゲルの内在的批判を通じて,現実的人間を中心とする世界観を築いていった。しかし,その人間観にはバウアーの〈自己意識〉,フォイエルバハの〈感性的人間〉,マルクスの〈社会的人間〉それぞれの間に対立があり,市民ジャーナリズムの形成と時を同じくして激しい論争が交わされた。M.ヘス,エンゲルス,マルクスがドイツを去り,1848年の市民革命が挫折すると,シュトラウス,バウアーはドイツの国民主義に傾斜していき,前者はニーチェの激しい批判を浴びる。この国民主義を土台に,ラサール派が誕生し,マルクスの社会主義と対立を生み論争点のいくつかはマルクス主義対ファシズムという形でひきつがれた。
→新ヘーゲル学派 →ヘーゲル
執筆者:加藤 尚武
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ヘーゲル哲学の後継・研究者および批判者の一般的な呼称。1827年ヘーゲルは、自分を支持する主としてベルリン在住の哲学者・神学者を集めて「学的批判協会」を設立し、翌年機関誌として『学的批判年報』を発刊した。時代の文化のなかの誤った一面的な思想を摘発し、有限なものの有限性を明らかにする批判を通じて、哲学が絶対者の認識に奉仕するという哲学観に基づくものとはいえ、実状は、アカデミーに参加することのできなかったヘーゲルが、シュライエルマハーに対抗するために設立した集団であった。
ヘーゲルが1831年に没したとき、ヘーゲル学派は大学の講座を占める有利な地位にあったが、その優位は長続きはしなかった。1835年D・シュトラウスの『イエス伝』がヘーゲル学派を混乱に陥れた。人間の自己意識的理性とプロテスタンティズムの信仰とが、人間の絶対者認識=神の自己認識という形で両立するというヘーゲルの宗教哲学に亀裂(きれつ)が生じた。シュトラウスは、信仰の表象が共同体の理念であるというヘーゲル的な方法と、聖書の記載を分析する実証的な手法とを駆使して、聖書の不合理性を際だたせる形で福音書(ふくいんしょ)の再解釈を行った。ヘーゲル哲学こそが理性と信仰の調和を保証すると考えていた当時のヘーゲル主義者にとって、シュトラウスの『イエス伝』は、ヘーゲル主義こそがキリスト教批判となる「危険」を示唆していた。
正統派ヘーゲル主義からの批判に答えるべく、シュトラウスは1837年『論争集』を刊行して、そこにヘーゲル学派を、右、中央、左と分類した。分類の尺度は、ヘーゲルが啓示宗教としてのキリスト教の本質だとみなした「神的本性と人間的本性との統一の理念」(神人統一の理念)が、聖書のイエス伝という表象と一致するか否かである。全面的肯定が右派(ゲッシェル、ガープラー、のちに左派に転向するバウアー)、部分的肯定が中央派(ローゼンクランツ)、全面的否定が左派(シュトラウス自身)である。以後、シュトラウスの表現に従って、「右、中央、左」にヘーゲル学派は分類されるが、分類の内実はシュトラウスのままではない。
他方、歴史家ハインリヒ・レオの『ヘーゲルの徒輩(とはい)』(1838)は、「青年ヘーゲル党」を鋭く批判していた。彼らは無神論の立場をとって、福音は神話にすぎないと語り、しかも一般には理解されない隠語を使って自分たちをキリスト党であるかのように偽装しているというのである。ここから「若いヘーゲル学派」はヘーゲル哲学を革新し、「老いたヘーゲル学派」が墨守・保存するという観念が生まれ、「青年ヘーゲル学派=ヘーゲル左派」という見方が出てきた。やがてシュトラウスの規準を離れて革新と保守に対応させて左右を分類するようになり、『ヘーゲル全集』の刊行に努力したヘニング、ホトー、フェルスター、マールハイネケ、ヒンリクス、ダウプらが「老ヘーゲル学派」といわれる(レーウィット)ようになる。
1848年ドイツ三月革命でヘーゲル左派が消滅し、20世紀初頭から第一次世界大戦までに「ヘーゲル復興」を掲げて登場した「新ヘーゲル派」は、ファシズムの成立とともに分解したが、『ヘーゲル全集』の改訂という成果を残した。
[加藤尚武]
『レーヴィット著、麻生建訳『ヘーゲルとヘーゲル左派』(1974・未来社)』▽『大井正著『ヘーゲル学派とキリスト教』(1985・未来社)』▽『バウアー著、良知力・廣松渉編『ヘーゲル左派論争4 ヘーゲルを裁く最後の審判』(1986・御茶の水書房)』
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シュトラウスの『イエス伝』(1835年)をめぐってヘーゲルの弟子たちに激しい論争が行われ,右,中,左の3派に分裂した。右派は老ヘーゲル学派とも呼ばれ,ヘーゲルの哲学的・宗教的立場をそのまま肯定して,彼の思想の祖述に努めた。ゲッシェル,ガブラーなど。中央派は自由主義的であり,ヘーゲルで同一とされていた哲学と宗教を区別すべきことを主張した。ローゼンクランツ,エルトマンなど。思想史的に最も重要なのは左派で,青年ヘーゲル学派とも呼ばれ,人間学的・唯物論的であり,史的唯物論の源流となっている。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
…シュトラウスはその著《イエスの生涯》2巻(1835‐36)において聖書の批判的研究を試み,福音書に記されているイエス・キリストの事績は歴史的事実ではなく,原始キリスト教団が〈無意識的〉に生み出した〈神話〉である旨を指摘しつつ,ヘーゲルの宗教哲学を継承する方向で独特のキリスト教論を展開した。彼は歴史的事実と信仰的真理とを区別し,その所説は信仰的真理をなんらそこなうものではないと主張したが,正統派の神学者たちからはもとより,ヘーゲル学派からも激烈な批判を浴びることになった。シュトラウスの問題提起を機縁にした内部論争ひいては対外論争を通じて,ヘーゲル学派はいわゆる左派・中央派・右派に分裂するに至る。…
…ヘーゲルの死後,ヘーゲル学派は左派,右派,中央派に分裂したが,それらの影響は1848年から70年にかけて,ほとんど失われた。しかし世紀末から再び生まれてきた〈精神〉を重視する立場が強くヘーゲルの影響を受けていたために〈新ヘーゲル学派〉と総称され,ファシズム期の終りまで影響を残した。…
…人間が〈類〉としては不死であるというヘーゲルの〈自然哲学〉の概念を拠り所にして,ヘーゲルの〈精神〉概念を批判するフォイエルバハは,身体をそなえ,感覚を持つ自然的人間の学を樹立する。ヘーゲル批判の論点それ自体がヘーゲルの概念に依存している点に,ヘーゲル学派としての特色を示す。この立場は,マルクス,エンゲルスをはじめ同時代人に強い影響を与え,宗教批判の方法を政治批判にまで徹底するという形で,彼らの思想的出発点を形づくった。…
…1830年にトリール市内の名門ギムナジウムに入学,35年にボン大学法学部に入学,翌36年にベルリン大学法学部に移る。当初は詩人になることを志していたが,ベルリン時代に神学講師B.バウアーらとの交友もあり,ヘーゲル左派(ヘーゲル学派)の一員として思想形成の途につく。41年にイェーナ大学で哲学の学位を取得。…
※「ヘーゲル学派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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