青柳城(読み)あおやぎじょう

日本の城がわかる事典 「青柳城」の解説

あおやぎじょう【青柳城】

長野県東筑摩郡筑北村(旧同郡坂北村)にあった山城(やまじろ)。四阿屋山の北西の尾根筋に築かれていた城である。築城年代、築城者は明らかではないが、戦国時代には信濃国守護の小笠原氏に仕えていた麻績氏一族の青柳氏の居城だった。1550年(天文19)、武田晴信(のちの武田信玄)は小笠原長時を攻め、居城の林城を攻略した。長時は村上義清を頼って逃れ、義清とともに武田氏に抵抗したが、1551年(天文20)に義清の居城葛尾城(埴科郡坂城町)が落城して越後に逃れると、青柳城の青柳清長、頼長父子は武田氏に降伏した。その後、第一次川中島の合戦の際に、青柳城は越後の上杉勢により一時的に占領されている。武田氏滅亡後、青柳氏は織田信長の支配ののち、越後の上杉景勝傘下に入る。しかし、徳川家康の支援を受けた小笠原貞慶深志城(松本市、のちの松本城)に入ると、上杉氏を離反してこれに従ったため、上杉景勝は青柳城を攻めて落城させた。その後、小笠原貞慶は景勝に大敗したものの、景勝が新発田重家の乱鎮圧のために撤退したために、青柳城は青柳氏の手に戻ったが、貞慶は1587年(天正15)9月、青柳頼長父子を深志城に召喚して同城内で討ち取った。その後、貞慶は青柳城を没収し、家臣の溝口貞秀を入城させている。現在、城跡城址公園として整備されている。公園入口には模擬城門がつくられ、その奥には8つの曲輪(くるわ)とそれを囲む堀切などの遺構が残っている。また、一の曲輪には小笠原氏時代の布目積み石垣が残っている。JR篠ノ井線坂北駅から徒歩約10分(登城口まで)。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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