日本大百科全書(ニッポニカ) 「小笠原貞慶」の意味・わかりやすい解説
小笠原貞慶
おがさわらさだよし
(1546―1595)
安土桃山時代の武将。小笠原長時(ながとき)の三男であるが正嫡となる。母は仁科盛明(にしなもりあき)の娘。長時は武田信玄の信濃侵攻によって敗れ、1551年(天文20)に父子ともに越後国の上杉謙信のもとへ逃れる。翌年には上洛し、三好長慶を頼り幕府にも接近、貞慶は足利義昭の家臣となる。長慶・義昭らが織田信長に敗れた後、信長に仕えてその東国政策に従った。1582年(天正10)本能寺の変後、貞慶は徳川家康の援助で信濃に侵攻、旧領を回復して深志城(ふかしじょう)に入り深志を松本と改称、小笠原家の再興を果たす。その後一時家康から離反するが、1586年に家康が豊臣秀吉に臣従すると、秀吉の命により再び家康に属した。1589年に嫡子秀政に家督を譲り、同年秀政が家康の嫡男信康の娘を娶ることによって、徳川氏との関係を深めた。翌年の小田原攻め後の家康の関東転封により、秀政は下総国(しもうさのくに)古河(こが)3万石に封じられ、貞慶もこの地に移り1595年(文禄4)に没した。
[本多隆成]
『粟野俊之著『織豊政権と東国大名』(2001・吉川弘文館)』