20世紀日本人名事典 「青柳石城」の解説 青柳 石城アオヤギ セキジョウ 昭和期の書家 生年明治32(1899)年 没年昭和52(1977)年 本名青柳 政治 経歴幼い頃から書道に親しみ、後に小学校の先生となる。その間、難関とされた文格に合格、大正14年初めて富山で女子師範・女学校の教壇に立った。日本有数のマンモス書壇の1つ、北陸書道院の創設者で、書家として卓越していたばかりでなく、書道の教育者としても偉大であった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「青柳石城」の解説 青柳石城 あおやぎ-せきじょう 1899-1977 昭和時代の書家。明治32年4月22日生まれ。大正14年富山女子師範,富山高女の教諭となる。書道教育につくすとともに,昭和7年北辰書道会をつくり,機関誌「臨池」を刊行。同会を発展させ,41年富山市に北陸書道院を創立した。昭和52年6月22日死去。78歳。群馬県出身。群馬師範卒。本名は政治。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by