パブロワ(読み)ぱぶろわ(英語表記)Анна Павловна Павлова/Anna Pavlovna Pavlova

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「パブロワ」の意味・わかりやすい解説

パブロワ
Pavlova, Anna

[生]1881.2.12. ロシア帝国,サンクトペテルブルグ
[没]1931.1.23. オランダ,ハーグ
ロシアのバレリーナ。フルネーム Anna Pavlovna Pavlova。ロシア帝室舞踊学校に学び,卒業後マリインスキー劇場バレエ団に入り,『ジゼル』の主役で大成功を収め,1906年プリマ・バレリーナになった。 1907年マリインスキー劇場バレエ団を離れ,セルゲイ・パブロビッチ・ディアギレフバレエ・リュスに参加するなどしてヨーロッパを巡演。その後,男性を中心とするバレエ作品をめぐる対立から退団,ミハイル・ミハイロビッチ・モルドキンと組んで自身のバレエ団を組織し,イギリス本拠に 1914年から世界各地を巡演,バレエの普及に貢献した。公演回数約 3600回,訪問国は 43ヵ国に上る。日本では 1922年に東京の帝国劇場および神戸,広島で公演。そのレパートリーには,名演技でパブロワ代名詞ともなった『瀕死の白鳥』のほか,『カリフォルニアケシ』『ガボット』,自作の『秋の木の葉』などがある。

パブロワ
Pavlova, Eliana

[生]1899.3.22. チフリス(現トビリシ)
[没]1941.5.6. 南京
ロシア生れの舞踊家。白系ロシア人貴族の家に生れる。革命を逃れて,妹ナデジダとともに上海経由で 1920年頃日本に亡命。ペテルブルグ帝室舞踊学校で学んだ実績を生かして鎌倉七里ヶ浜で教室を開き,定住した。日本バレエ界の黎明期にあって教室は多くの人材を集め,東勇作橘秋子服部智恵子,貝谷八百子ら,のちのリーダーとなる舞踊家を輩出。また,37年帰化し霧島エリ子を名のって,戦地への慰問活動を行い,その途中,南京で客死するまで広くバレエ界に貢献した。没後,ナデジダが教室を受継ぎ,活動を続けた。

パブロワ
Pavlova, Karolina Karlovna

[生]1807.7.22. ヤロスラブリ
[没]1893.12.14. ドイツ,ドレスデン
ロシアの女流作家主著クレムリンでの会話』 Razgovor v Kremle (1954) 。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「パブロワ」の意味・わかりやすい解説

パブロワ
ぱぶろわ
Анна Павловна Павлова/Anna Pavlovna Pavlova
(1881―1931)

ロシア出身のバレリーナ。サンクト・ペテルブルグに生まれ、同地の帝室舞踊学校に学ぶ。マリンスキー劇場に入り、1906年にはプリマ・バレリーナとなる。07年にフォーキン振付けの『瀕死(ひんし)の白鳥』を踊り名声を得た。09年ディアギレフのロシア・バレエ団に参加したが、11年以降自身のバレエ団を創設し、イギリスを本拠に世界各地を巡演。日本にも22年(大正11)に来演し、6世尾上(おのえ)菊五郎と舞踊の交歓会を開いている。ダンサーとして抜群の魅力を備え、とくに手の表現の柔らかさは観客の目を見張らせた。現在も出演映画『不死の白鳥』(1924)に、その魅力の片鱗(へんりん)をみることができる。

[市川 雅]

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