日本歴史地名大系 「面白村」の解説 面白村おもじろむら 千葉県:夷隅郡大多喜町面白村[現在地名]大多喜町面白小田代(こただい)村の南東、伊保田(いほた)村の西、養老(ようろう)川上流域に位置し、右岸に面白集落とその南方台地に宇野辺(うのべ)(鵜野部)集落、左岸に岩井原(いわいはら)集落がある。元禄郷帳などでは筒森(つつもり)村枝郷とある。文禄三年(一五九四)九月二九日の伊保庄筒森村田畑縄打帳(永島家文書)に面白村とみえ、田一町九反余・畑三町八反余、名請人六。延宝七年(一六七九)の筒森之内面白村検地帳(同文書)では田三町一反余・畑九町六反余(うち茶畑一反余)、新田七町四反余。 面白村おもじろむら 島根県:八束郡玉湯町面白村[現在地名]玉湯町湯町(ゆまち)湯町村の南、花仙(かせん)山麓の谷間に位置する。正保国絵図に村名がみえる。元禄十年出雲国郷帳では高一八一石余、寛文四年(一六六四)の本田高一七三石余・新田高六石余。「雲陽大数録」では高一四〇石。宝暦四年(一七五四)の意宇郡万差出帳(玉湯町史)によると東西七町二〇間・南北八町三〇間の小村で、竈数一八・人数九八。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by